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惜別球人2017

高崎健太郎 引退惜別インタビュー 曲げなかった強い気持ち 「ピンチのときにスタンドから届けられる声援には本当に勇気づけられました」

 

「一番の思い出は球団が横浜DeNAベイスターズになり、新球団としての第1球目を投げられたことです」。引退に際して発表したコメントが高崎健太郎の11年の現役生活にかけた思いを凝縮していた。球団の親会社が変わるという過渡期を支えた右腕の存在がなければ、DeNAの2年連続Aクラス入りは成しえなかっただろう。一瞬の煌めきを残して、背番号「22」がユニフォームを脱いだ。
取材・構成=滝川和臣、写真=大賀章好(インタビュー)、BBM


迷った末に下した決断


プロ入り後初めて一軍登板なしに終わった2016年から復活を期した17年。オープン戦で7試合無失点と結果を残し開幕一軍をつかんだ。しかし、迎えた開幕戦で厳しい現実が待ち受けていた。

──11年間の現役生活、お疲れ様でした。ユニフォームを脱いだ今の心境はいかがでしょうか。

高崎 悩んだ部分もありましたが、すっきりした気持ちですね。

──17年は開幕前から好調でした。ご自身も復活に手応えを感じていたように見えました。

高崎 キャンプ途中から一軍に呼んでいただいて、オープン戦では思ったとおりの投球をすることができました。「今年は何とかやってやろう」という気持ちで、球速よりもボールのキレで勝負しようと取り組んできたことが結果につながりました。

──神宮での開幕戦(3月31日、ヤクルト戦)。8回にマウンドに上がり、1回4安打1四球で3失点。

高崎 ストライクを取ることに苦労して、スライダーに頼ったところを痛打されました。オープン戦とは違いました。

──直後、二軍で再調整となります。

高崎 単純に開幕戦で結果が残せなかったから降格されました。あれだけ頑張って勝ち取った一軍だったので、気持ちを切り替えるのが難しかったです。でも、多少なりとも引きずる部分はありましたけど、シーズンは始まったばかりなので「まだチャンスはある」と思って気持ちを入れ替えました。自分のスタイルを変えることはせずに、ボールのキレを戻して、もう一度勝負してやろうと思い、過ごしていました。

──ファームでは22試合に投げ1勝2敗。防御率4.60という結果でした。どんな気持ちでマウンドに上がっていましたか。

高崎 防御率に関しては大量失点があった部分もありますけど、投球自体はいろいろ試しながらやっていました。「よし、今日は速いボールだけで攻めていこう」とか「緩急をつけていこう」「下半身を使って低めの変化球で空振りを取ろう」など考えながらマウンドに上がっていました。一軍から声がかからない状況でしたが、シーズン中は投手陣にケガ人が出たり、調子を崩すこともあるだろうから一軍で投げるための準備はしっかりやっていました。

──しかし、一軍登板がないままシーズン終盤に球団から戦力外が発表されました。

高崎 10月に(高田繁)GMから直接伝えられました。一軍での登板がなかったものですから、自分でもなんとなく雰囲気で(戦力外となることが)分かっている部分もあって「やっぱりか……」という気持ちでした。

──結果、引退を決意されるわけですが、現役を続ける選択肢もあったと思います。

高崎 そうですね……。正直、すごく悩みました。他球団に行ってもう一度チャンスを・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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