西武で攻守走すべてにおいて高レベルを誇った完全無欠のプレーヤー。メジャー・リーグへ旅立ち、東北の地を沸かせ、そして今季15年ぶりに西武へ復帰して、ユニフォームを脱いだ。濃密だった25年間のプロ野球人生。挑戦の日々を振り返る。 取材・構成=小林光男、写真=大泉謙也(インタビュー)、BBM、Getty Images 多くの指導者に育てられて
第二の野球人生のスタートも西武第二球場だった。今季限りで25年間に及ぶプロ野球人生に終止符を打ち、二軍監督として指導者生活をスタートさせた松井稼頭央。所沢秋季キャンプで宮崎・南郷へ行かずに居残った選手たちを見守った。 1994年、PL学園高からドラフト3位で西武に入団した松井。高校時代の投手からプロでは内野手に転向したが、松井いわく「ゼロからのスタート」。厳しい練習にも旺盛な向上心で食らいつく。西武第二球場で泥にまみれながら、必死に明日だけを見ていた。 ──若手時代、西武第二球場で過ごした日々で、思い出すことはどのようなことでしょうか。
松井 しんどかったとか、つらかったとか、そんなことを思う時間はまったくなかったです。下手くそなので、練習でやることがたくさんありましたから。当時は電話当番もありましたね。一軍の試合も見ますし、1日がすぐに終わりました(笑)。
──例えば1年目はイースタンで24失策。ミスが多かった。
松井 ホームのときは常に試合後、特守でしたから。バッティングでも木のバットでプロのスピードに対応しないといけないし、走塁技術もまったくなかった。でも、ミスしても練習をすればいいし、なんでミスをしたかを考えていけばいい。特に守備は練習すればするほど確実に上達する。積み重ねが大きなものになりますから。だから、今の選手にもミスを怖がらずに思い切ってやってほしいですね。
──入団2年目からは
東尾修監督でマウイキャンプに抜擢されました。
松井 もちろん、数多くの指導者がいたからこそ成長できたのは間違いありませんが、東尾さんと出会わなければ今の僕はないでしょう。それと・・・
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