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Vol.8 国岡祐樹[愛工大・投手]
幾度ものケガを乗り越え、父と同じプロの道を目指す

 

脇町高では右ヒジのケガに悩まされながらも、コンパクトな腕の振りから最速145キロの伸びのあるボールを投げ注目を集めた。
愛工大入学直後に手術に踏み切り、完治した右ヒジで父親と同じプロの道へ進むべく邁進中。
愛知大学リーグでは昨年、春に続いて秋も2部2位。
悲願の1部復帰に向け燃えている――

取材・文=三橋祐子
写真=佐藤真一



プロ野球投手だった父から受け継いだDNA

 暮れも差し迫ったある日の夕方、明かりの灯った愛工大・ブルペンに国岡祐樹の姿があった。188センチの上背には似合わないコンパクトな腕の振りで、ボールをキャッチャーミットに投げ込む。しばらくしてピッチングを終えると、上半身からは湯気がモクモクと立ち上り、その熱がこちらにまで伝わってきた。

 鴨島商高から1969年秋のドラフト2位で阪急に入団した左腕・国岡恵治氏(プロ通算:試10勝0負0回15 2/3責5防2.81)を父に持つが、ピッチングの指導を受けたことはほとんどない。小学校3年生のとき、父親に連れて行かれた軟式野球チームで野球を始めた国岡は、当時をこう振り返る。「父がプロ野球選手だからうまくて当たり前、みたいな感じで見られたので嫌でした。実際、うまくなかったし……」。しかし、最初は嫌々始めた野球だったが、小4の夏にピッチャーというポジションに出合ったことで、いつの間にかそれが楽しいものへと変わっていった。子どものころは夢のまた夢でしかなかったプロ野球選手。そんな国岡がいま、父と同じ道を目指している。

 プロへの道が現実味を帯びてきたのは脇町高2年の時。球速がグングン上がり自身の成長を肌で感じられるようになってきたころだ。「スカウトの方が見に来られるようになって、頑張ろうと思いましたね。オヤジを超えてやろうと」。だが、7球団のスカウトが訪れた3年夏の徳島県大会で初戦敗退。6回まで4点をリードしながら7回にセンバツ出場の川島高打線につかまると、無念の途中降板となった。「今までで一番悔しい思い出。最後の夏にベストを出せなかったことはもちろん、チームメートや応援してくださっていた方にも申し訳なくて……」。国岡は自分自身を責めたが、実はこのとき彼の右ヒジは悲鳴を上げていたという。

 小4の夏から始めたピッチャーだったが、投げ過ぎから“野球ヒジ”を患い、半年で内野手への転向を余儀なくされた。ただ、ショックはなかった。連係プレーなど、内野守備の奥深さにすぐさま魅力を感じると脇町中では三塁手として3年間を過ごした。しかしである。進学した脇町高で転機が訪れた。肩の強さを買われ・・・

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