1年夏からエースとして投げてきた。「古豪・大商」の看板を背負うだけに、それなりの自覚と責任がないと務まらないポジションである。今春の九州大会でのライバル右腕の活躍で、左腕のハートに火がついている。 周囲を黙らせた2年前の“大金星” 入学してすぐのころ、
笠谷俊介は「チームが勝ちたいのなら、自分にエースナンバーをくれ」と言ったのだという。先輩投手や保護者に対していきなりぶちかましたビッグマウスに「やや違ったニュアンスで伝えられているのですが」と苦笑いを浮かべる笠谷だが、だいたいの意味は「そんな感じですかね」ということだから、この発言は概ね事実のようだ。
笠谷は宣言どおりに高校最初の夏で背番号1を背負った。七瀬ボーイズでプレーした中学時代は、決して主戦級だったわけではない。しかし、大分県内屈指の名門校では、早々にエースの座をつかんだ。それが叶った要因のひとつとして、冒頭で笠谷が述べた強気の発言があったことは否定できない。
笠谷は1年夏の大会前に組まれた福工大城東高(福岡)との練習試合で、当時“怪物級”と騒がれた2学年上の
笠原大芽(現福岡
ソフトバンク)と投げ合ったことがある。試合前に笠原の投球を目の当たりにして尻込みするチームメートの中で、笠谷だけが「そうかな?」と首を傾げ、実際に2対1で鳴り物入りのドラフト候補生に投げ勝ってしまったのだ。
「あの時点で、大分商は笠谷のチームになった」と、渡辺正雄監督は言う。「大口を叩く1年生」程度にしか笠谷を評価していなかった先輩選手や保護者たちが・・・
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