今春の県大会では16年ぶり4強の原動力。春夏通じて初の甲子園出場への期待が高まった夏だったが、まさかの初戦敗退を喫してしまった。しかし、148キロ右腕には次なる明確な目標があった。10月23日のドラフトへ向けて休まず、体を動かしている。 取材・文=谷上史朗 写真=太田裕史 ▲181センチ82キロと恵まれた体格であり、投手としての“馬力”が持ち味。粗削りの部分もあるが、プロのスカウトはその「将来性」に期待している
オープンスクールでの雰囲気の良さが入学の決め手
「こうやブレイクスルー」
使い込まれた山吹色の手帳に走り書きの文字が残る。2013年2月3日。書き込んだのは堤尚彦監督だ。
「ブルペンで投げ始めたらボールの勢い、質が、明らかにそれまでと違っていた。来たな、と思った日、それが去年の2月3日でした」
冬場に取り組み、試してきたことが体現された瞬間。ボールが走った。大学卒業後、海外青年協力隊員としてジンバブエ、ガーナ、インドネシアで指導歴を持つ指揮官は続けた。
「努力していれば、トンと上がる瞬間がやってくる。茂木健一郎さんが『アハ体験』と言われていますが、それがまさにあのとき。何でも0から1までが難しくて、そこをクリアして、努力の効果を感じられたらあとは自然に転がっていくんです」
主に遊撃だった中学時代は上背以外、特に目立つものはなかった。3年夏も地区予選敗退。その中で唯一、関心を示してくれたおかやま山陽高のオープンスクールに参加し練習を見た。すると「ノックでもすごく盛り上がって雰囲気が良かったし、メニューもいろいろあって」迷わず決めた。
アップにフットサルやバスケットボールなどが入るときもあれば、グラウンドには綱登り、鉄棒、雲梯……。雨天練習場の奥には卓球場と将棋を指すためのスペース……まで。
「人には200本の骨と400の関節、600の筋肉があると言われています。これをいかにつなげて使うか。経験からいうと高校生でもまだ神経系は育つし、皓哉も体を使えるようになったことで、うまくなるためのスイッチが入ったんです」
理屈抜きの動きの中で作られたフォーム
体に弱さを感じたこともあり「投手の練習より体を使う」内野手でスタート。ただ・・・
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