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今オフ、その動向が最も注目された選手の一人だった。FA宣言後は、「相思相愛」とも言われたロッテへの移籍がすぐに決まるかと思われたが、ほかのFA選手の移籍が次々と決まっていく中、その移籍が決定するまでには時間がかかっていた。西武残留もあるかと囁かれるほどの長い沈黙のあと、最後に下した決断。決断の理由、そして、移籍を決めるまでに長い時間悩み続けた理由とは何だったのか。

文=松原 樹 写真=BBM

 自分の足で、踏み出した。決断を下した後の涌井秀章の表情は、重い重い荷物を降ろしたかのように晴れやかで、すがすがしいものだった。たった数カ月の間で決めなければいけない重大なターニングポイント。神経が細やかで繊細な涌井にとっては、人生最大かつ最も過酷な時間だったに違いない。

苦しみのシーズン

 2012年オフの契約更改。長い1年の幕開けだった。球団から提示された複数年契約を辞退し、単年契約を結んだ。

「野球人生の勝負の年。複数年の提示もありましたが、再来年があると思うと甘えが出る。1年1年が勝負」。

 順調にいけば、13年シーズン中にFA資格を取得する。本人は決して口にしなかったものの、周囲の見方は「FA行使を見据えた単年契約」だった。

 かつて沢村賞を獲得したエース右腕も、ここ数年は窮地に陥っていた。決め球としてのフォークを追求したがゆえにフォームが狂った。結果がついてこない。安定して2ケタ勝利を重ねてきた岸が事実上のエースとなり、いつしか周囲からの認識も西武のエースは涌井から岸へ移っていた。

 当の涌井は「エース」にこだわりを持っていなかった。チームが勝てばいい。そのうちにエースとしての信頼を回復できればいい。その信念だけはブレなかった。

 13年シーズンは開幕直前までWBCに出場していたこともあって、5年間続けて務めた開幕投手の座を岸に空け渡した。

 初登板は開幕6戦目となった、4月4日、ソフトバンク戦(西武ドーム)。そこまでチームは5連勝。後輩投手が白星をつないでいた。6回1失点で実に542日ぶりの先発白星。

「後輩たちが簡単に勝つもんで後ろで投げる方にはどんだけプレッシャーがかかったかって」。珍しくのしかかっていた重圧をはき出すようにつぶやく。だが、後輩投手の労をねぎらう言葉を忘れなかったのがなんとも涌井らしかった。

 開幕3連勝を積み上げた涌井に、エース復活の期待を誰しもが抱いていた。しかし長くは続かない。不振が響いて先発ローテーションを外れた。再び先発のチャンスを与えられたが、6月27日の楽天戦(大宮)では3回途中5失点KO。二軍降格が決まった。

 9月に入るまで故障者などのチーム事情により先発と救援を行き来したが、トンネルの出口が見えない状況は続いていた。だが涌井は不調のときほど・・・

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