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「抜てき」とは、「その能力に注目し、多くの人の中から特に選び出して、重要な仕事をさせること」だ。昨年、阪神の四番に和田監督から直々に指名された新井良太。まさしく大抜てきだった。だが、精神的な重圧に押しつぶされてしまった。一方で、多くのアドバイスをもらい、教訓を得た1年でもあった。2013年に経験したすべてを体に染み込ませ、2014年に大きく羽ばたこうとしている。

文=佐井陽介(日刊スポーツ) 写真=松村真行、佐藤真

四番の重みを感じ

 初体験の舞台は東京都内のホテルだ。13年開幕試合の3月29日ヤクルト戦(神宮)を終えた深夜。足の激痛で何度もベッドから飛び起きた。「足がつって目が覚めて、の繰り返し。自分の想像以上にプレッシャーがあったんだろうな。今までになかったことだから驚いたよ」。

 1年前の心情を思い返し、新井良太は苦笑いした。「でもね、これはデカい経験だと思うんよ。勢いだけじゃなく、プレーする怖さとかマイナスの部分を感じられたのはデカい」

 昨季はあれよあれよ、という間に開幕四番を任された。13年チーム初戦の2月10日練習試合、日本ハム戦(名護)から四番を任され、オープン戦でも好成績を残した。右肩痛からの復活を期していた本命の兄・貴浩やマートン、鳥谷、福留といったビッグネームを抑える形となった。

 12年も優勝が遠のいた終盤に四番を47試合任されていたが、重圧は比べ物にならなかった。「大事な開幕戦の四番だもん。12年は消化試合で四番を打っただけ。周りもオレに期待していないから、頑張れ、頑張れと温かい目で見守ってくれた。でも、去年は周りの見方、プレッシャーが全然違った。四番の重みが分かったよ」

 開幕スタメン自体、中日時代を含めて初めて。それが人気球団タイガースの四番だ。初打席から9打席安打が出ず、開幕3連戦は13打数2安打。「調子が悪いと不安になる。不安だから休日も練習ばかりして、体を手入れする余裕がなくなって、もっと調子が悪くなる。今思えば悪循環だった」

 練習試合、オープン戦の全試合でプレーしていた肉体、そして心が悲鳴を上げるのは時間の問題だった。4月5日広島戦(マツダ広島)の試合中に左太もも裏肉離れを起こし、翌6日に出場選手登録抹消。自ら四番の座を手放した。

 今だから明かせる。実は3月下旬、とある場所で和田監督から直々に開幕四番を告げられていた。「四番で行く。俺は逃げないから、オマエも逃げるなよ。アクシデントがない限り、四番を外さない。オマエも現実から目を背けるな」。

 2人だけの空間での熱い言葉を意気に感じていた。それだけに指揮官を裏切った自分のふがいなさにいら立ち、思い悩んだ。心のモヤモヤは一層深まり、ついには指揮官に見抜かれた。

 完治にはほど遠い状態のまま、4月16日に一軍復帰。4月下旬の試合中だった。珍しく和田監督に大声で怒鳴られた。三塁守備で平凡なゴロに中途半端な動きをした直後のベンチ。「ボールが怖いんか!」。心にグサリと突き刺さった。「確かに、無意識のうちに足を気にしていたのかもしれん……」。

 翌日の甲子園練習中、指揮官と2人きりで外野芝生を歩きながら諭された。「お客さんは良太の思い切りいいプレーが楽しみなんだ。俺もそこに期待して出している」。周りに心配されるほど、心の疲労はたまり切っていた。

 もともとは悩みと無縁のタイプ。常々「野球でストレスがたまったことはない」と繰り返してきた。「抑えられた試合の後も、次こうすれば打てる、とか考えるのが楽しいんよ」。

 そんな男が表情を曇らせていったのだ。状態を上げても好調を持続できず、6月10日に二軍降格。登録抹消を告げられた前日9日夜、大阪市内の料理屋で「打てなかった俺が悪い」と自分を責め続けた。

 仲間のサポートがなければ、そのまま苦悩のどん底に沈んでいたかもしれない。

 二軍降格が決まった夜、兄から電話があった。「オマエは・・・

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