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日本中に楽天旋風を巻き起こした2013年。だが、その輝かしい栄光の陰で、この男はもがき苦しんでいた。プロ生活14年目を迎える牧田明久、31歳。球団創設時からのメンバーとして長きにわたってイーグルスを支え続けてきた男だからこそ胸に去来する一途な思い─。誰よりもチーム、そして仙台を愛する男の復活を懸けた勝負の1年がいま幕を開けた

文=畑中祐司(報知新聞) 写真=荒川ユウジ

悔しさを力に変えて

 例年にない強い日差しに照らされていた。プロ野球選手にとってのお正月と言われる2月1日のキャンプイン。

 気温24度の沖縄・久米島で牧田明久はこれまでの自分の野球人生を重ね合わせるかのように、静かに切り出した。

「ちょうど10年か……。途中から金武町に行くようになって久米島にいる期間も短くなりましたけど、今までの9年間でどれぐらいの日数を来ていることになるのかな」

 楽天の苦しい道程を知り、球団の歴史とともに歩んできた。04年11月、近鉄バファローズの球団消滅に伴い、行われたプロ野球史上初の分配ドラフトで新規参入球団として誕生した楽天に入団。

 その球団は今シーズンで創設10周年を迎えた。そして、牧田はそのチームの中では球界再編前の近鉄時代を知る唯一の現役選手となった。

 2014年の新しいシーズンを迎えるにあたり、牧田が口にしたのは「優勝を味わいたい」という言葉だった。昨季の楽天は創設初のリーグ優勝を飾り、そして巨人を破って日本一に輝いた。

 その栄光からあまりにかけ離れた言葉でもあったが、優勝の瞬間の歓喜の輪に自身も加わりながら、それが一方で悔しさを倍増させていた。

 1年間通してケガに泣き、レギュラーの座を手放した。シーズンが開幕してまだ間もない4月下旬、星野仙一監督は牧田に怒りの矛先を向けた。

「何で、もっと早よ言わんかったんや!」。左手首の痛みを訴えたときだった。

 その前の年から痛み止めの注射を打ちながら試合に出続けていたという古傷だったが、遠征先の神戸市内の病院で検査を受けた結果は「左橈側手根伸筋腱部分断裂」。

 実戦復帰まで2カ月近くを要する重傷で出場選手登録を抹消された。痛みを訴える前日も特打を行っていた。それまでの開幕20試合では主に五番として存在感を発揮していた。チャンスをつかもうと無理をした結果だが代償はあまりに大きかった。

未来への活力になった一発

 負の連鎖は止まらなかった。7月30日の西武戦(盛岡)で一軍復帰を果たしたものの、8月16日の西武戦(西武ドーム)でスイングした際に今度は左ワキ腹を痛め、再び戦線離脱。

 その後はレギュラーシーズン中に実戦復帰することはかなわなかった。それでもポストシーズンの存在が復帰への高いモチベーションとなり、苦しいリハビリにも耐えてきた。決して最後まであきらめなかったことは、わずかに救いとなった一発も生み出した。

 クライマックスシリーズからチームに合流すると、11月3日の日本シリーズ第7戦(Kスタ宮城)のスタメンに「九番・中堅」で名を連ね、2点リードの4回に澤村からソロアーチを放った。日本一を手繰り寄せる貴重な追加点だった。

「あのホームランは神様が打たせてくれたのかな。(スタンドの)声援が本当に後押ししてくれた。球団の創設からいた1人だし、大事な試合で打てて良かった。とにかく何が何でもという思いだった」。

▲昨季の巨人との日本シリーズ第7戦。2点リードで迎えた4回裏に澤村から左翼スタンドに値千金のホームラン。日本中が注目する大舞台で頼れるベテランが意地を見せた



 2013年シーズンの悔しさは消えないが、今季への活力となったことは確かだ。

 プロ15年目のシーズンのテーマの1つが「挑戦者」だという。昨季の出場はケガの影響でわずか27試合にとどまった。

 今年6月に32歳になるベテランが置かれている立場は苦しいものに変わりない。弱肉強食のプロ野球の世界。結果的に自身のケガが若手台頭のチャンスを与えることにもなった。

 4月のケガで代わりに一軍昇格した島内宏明は「恐怖の九番打者」として、9月に左肩関節唇損傷で離脱するまでレギュラーを張った。

 捕手だった岡島豪郎も外野手に転向後に不動のリードオフマンに成長。そこに一昨年の盗塁王・聖澤諒、長打力が武器の枡田慎太郎を加え、さらには、A・ジョーンズも今シーズンは外野のポジションに就く準備も進めている状況だ。
Go for2014!〜新シーズンにかける男たち〜

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新たなシーズンに巻き返しや飛躍を誓う選手に迫ったインタビュー企画。

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