週刊ベースボールONLINE

 



約2年前、日本で数々のタイトルを獲得しメジャーで実績を積んだ福留孝介阪神に入団した。もちろん虎ファンの大きな期待がかけられた。だが、その期待に応えられたのは2年目の後半から。そこにたどりつくまでの苦悩は壮絶だった。それを乗り越えて見えてきた2015年とは―。
文=鈴木忠平(日刊スポーツ) 写真=BBM

不安が的中の復帰1年目 オフに断食を敢行


 自信たっぷりで、憎らしいほど落ち着いていて、そして、驚くほど大胆な、あの福留孝介が戻ってきた。

「何か1つタイトルを奪いたい。首位打者を取りたいね。年齢でとやかく言われるのもイヤだから。自分にハッパをかける意味でもね」

自信を持ってオフのトレーニングを仕上げてきた福留。堂々の首位打者宣言もその仕上がりのよさを表している



 2015年シーズンへ向けての首位打者獲得宣言だった。38歳のシーズンで実現すれば、史上最年長記録となることは知らなかったようだ。アメリカから戻って2年、かつての“残像”と戦い続けた。その末に取り戻した自分らしさだった。12年オフ、阪神と3年契約を結び、6年ぶりに日本球界へ帰ってきた。

 だが、13年は関西に渦巻いた期待とは裏腹に、打率.198、6本塁打、31打点と野球人生最悪の結果に。左ヒザ半月板の手術で戦線離脱もした。

「給料泥棒!」

 阪神ファンからは罵声を浴び続けた。だれもが中日時代にMVP、首位打者を獲得し、猛虎の前に立ちはだかった姿をイメージしていた。5年前との大きなギャップが鋭い憎悪となって跳ね返ってきた。決して表には出さなかったが、福留本人も不安を感じていなかったわけではなかった。日本球界復帰が決まった直後、ふと、こう漏らしたことがあった。

「俺、普通に野球できるのかな……」

 アメリカでは左ヒザの故障を経験した。最後のシーズンはマイナー暮らしでほとんど出場機会がなかった。漠然とした小さな不安……。それが現実になった。

 過去の幻影を追っていたのは周囲だけではなかった。少なからず、福留にもかつての感覚でやれば……という思いはあった。復帰1年目のシーズン、次第に相手バッテリーから内角直球で攻められることが増えた。これは予想に反することだった。MVPを獲得した06年などは、長打の可能性がある内角ではほとんど勝負してもらえなかった。

 だが、プロの“眼”は見逃さない。このとき、福留のフォームはどうしても左ヒザが折れ、バットのヘッドが下がっていた。内角の速い球が打てない。あれほど怖れていた相手が、どんどん内角を突いてきた。屈辱だったに違いない。対応しようとすれば、体の開きが早くなり、甘い球もポップフライになってしまう。悪循環だった。バットが体に巻き付くような大きなスイングから、あの長く、低く、美しいフォロースルーは見る影もなく消えていた・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

Go for2014!〜新シーズンにかける男たち〜

Go for2014!〜新シーズンにかける男たち〜

新たなシーズンに巻き返しや飛躍を誓う選手に迫ったインタビュー企画。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング