試合出場のNPB通算最多記録更新を目前にする中日・谷繁元信兼任監督。だが、その指揮の下で、球史に残る偉大な先輩を乗り越えるべく、虎視眈々と腕を磨く捕手がいる。2015年、勝負のときは刻一刻と迫っている。 文=吉見淳司 写真=大賀章好 特別なノック
2月11日、沖縄県北谷町。中日が春季キャンプを張る北谷球場のサブグラウンドに大きな声が響き渡った。
「どうした! レギュラーを獲る気はあるのか!?」
声の主はノックバットを手にした谷繁元信。その視線の先ではキャッチャー用具を身にまとった
松井雅人が、息も絶え絶えに体勢を整えていた。
「それ、本当は全然聞こえてなかったんですよ。後で誰かから聞いて『そんなこと言われていたのか』って」
松井雅はそう苦笑するが、それくらいに無我夢中だった。約1時間、350球のノックを受け切った後は疲労困憊。サブグラウンドを後にする足取りはおぼつかなかったほどだ。
「キャンプで一番疲れました。でも、谷繁監督からの個人ノックは入団してから初めて。なかなかそんなことはやってもらえないですし、光栄ですね」
2月11日に谷繁兼任監督(手前)からノックを受ける松井雅。前日の高橋周平に続き、個人ノックに抜てきされるのは今キャンプ2人目となった
ほかの11球団なら、監督が期待を寄せる有望株を特別に鍛えたという話に落ち着くだろう。だが、谷繁は昨年に引き続き捕手としてマスクをかぶりながら、同時にチーム全体の指揮を執るプレーイングマネジャーだ。監督と選手というだけではなく、両者は正捕手の座を争うライバルでもある。
冒頭の言葉も、単なるその場限りの奮起を促すものではなかっただろう。
飛躍のきっかけは捕球
活躍へとつながった捕球練習は日課となっており、技術は日々向上中だ
松井雅が中日に入団したのは2010年のこと。中日はこの年と翌11年に球団創設以来初となるリーグ連覇を果たしており、00年代中盤から始まった黄金期の最高潮とも言える強さを誇っていた。
谷繁兼任監督も当時は選手専任。故障を抱えながらも扇の要として100試合以上に出場しており、ルーキーにとっては高過ぎるカベだった。「当時は特に誰がいるということは気にしていなかったですね。とにかく自分のことで精いっぱいでしたから」
それでも松井雅は開幕一軍を勝ち取り、4月29日の
巨人戦(ナゴヤドーム)では早々に初スタメンに抜てきされている。結局13試合出場にとどまったものの、将来の正捕手候補に名乗りを上げた。
しかし11年は10試合、12年は4試合の出場に終わり1年目すら超えられない日々が続いた。「一軍に行ったりファームに行ったりの繰り返しでした。なかなか定着できなかったし、自分自身、そこまでの力がなかったと思います」
何かを変えなければいけない。熟考の末に導き出した答えが『捕球』を磨くことだった。「キャッチャーとしてまずは捕ることをしっかりやるようにしました。捕らないと投げられないし、ポロポロしているようだと投手の信用もない。自分も自信を持ってサインを出せませんからね。例えばランナーが三塁にいる場面で後逸の不安があれば、投手に落ちるボールは要求しづらくなってしまいます。でも、そこでサインを出さないで打たれたら悔いが残ってしまうし、それだけは嫌だったんです」
来る日も来る日も捕球練習に明け暮れる日々。地道な努力だったが、徐々に練習の成果が実を結び始める。
「後ろに逸らす数が減ってきました。それに何より、自分の中で練習を“やらされている”んじゃなくて“やっている”んだと意識が変わりました」
13年は自己最多の45試合に出場。さらに昨年は開幕2連敗の後に迎えた3月30日の
広島戦(ナゴヤドーム)に先発。プレッシャーのかかるシチュエーションだったが、
カブレラ、
田島慎二、
福谷浩司の3投手を好リードで導き、広島打線を3安打無得点に完封。完封勝利は松井雅にとってもプロ入り初の快勝だった。「最高のスタートになったとは思うんですけど、ちょっとうまくいき過ぎていた部分もありましたからね」
昨年3月30日の1広島戦(ナゴヤドーム)では自身初の完封勝利で、チーム初勝利のお立ち台に上がった(写真=前島 進)
とはいえ、捕手としては谷繁兼任監督(87試合)に次ぐチーム2位の63試合に出場。試合出場を重ねることで、これまでとは違う景色も見えてきた。「試合に出ることによって課題も出てきます。試合に出るようになれば相手も配球などを研究してくるので。例えば前のカードでは抑えられたのに、次のカードではめった打ちにされるということもありました」
谷繁兼任監督から試合後に呼び出され、苦言を呈されることもあったと語るしかしそういう場合でも事前に「多分、ここを言われるのだろうな」と見当がつき、実際に注意されることがあったという。それも捕手として、谷繁兼任監督のレベルに近付いていっている証拠だと言えるだろう。
谷繁兼任監督の控えから、正捕手を争うライバルへ。その機運はこれまで以上に高まっている。
監督を超える
谷繁兼任監督は今シーズンでプロ通算27年目となる。昨年までに通算2991試合に出場しており、あと27試合で
野村克也氏(元南海ほか)が保持するNPB最多出場記録を塗り替えることになる。
松井雅にとっては依然として雲の上の存在であることに変わりはない。だが、谷繁兼任監督が現役でいるうちに世代交代を果たしてこそ意味がある。「去年ももちろんレギュラーを獲るつもりはありましたが、とにかく試合に出てチャンスをもらって、何とか結果を出したいという気持ちでした。今年はこういう状況ですし、しっかり自分がマスクをかぶりたいという思いが強い」
チームは昨年に28年ぶりの2年連続Bクラスという屈辱を味わった。ここ2年間は第二捕手として定着している松井雅も、その責任を痛感している。「入団したときよりは成長できていますが、まだまだレベルは低いと思います。投手に信頼されるキャッチャーになりたいんです。扇の要として、とにかくどっしり構えていたい。『松井に投げたら止めてくれる。松井のサインどおりに投げたら抑えられる』と言われるように頑張ります」
そのために心掛けているのは『正確性の向上』。昨年は谷繁兼任監督(.242)を上回る盗塁阻止率・314をマークしたが、「もっと刺せるはず。自分のミスでセーフになっていることが多いですから」とレベルアップを誓っている。
そしてもちろん、すべての基本となった捕球練習は今も欠かさずに継続している。この取材日にも全メニューを消化した後、北谷球場内の薄暗い室内ブルペンで、パートナーに投げてもらったショートバウンドをひたすら捕球していた。
見守る首脳陣も、チームメートも、ファンもいない。だがその成果を身をもって味わっているからこそ、信じて継続することができている。「数は少なくてもいいから、その時間は集中して続けています。それが自分にとって自信になるし、とにかく毎日やることが大事。それは多分、これからも永遠に変わらないと思います」
谷繁兼任監督は昨年に、横浜(現
DeNA)時代の1994年から継続している開幕スタメンマスクを21年連続まで伸ばした。それをストップさせる気は? と問いかけると、「かぶりたいですね」とポツリと本音を漏らした。「みんな『雰囲気が独特』と言いますもんね。監督のようなずっとレギュラーを張って来た人でも『開幕戦だけは違う』と言いますし、達川(光男)コーチもそう言っています。それを経験したいという気持ちはあります」
新生中日ドラゴンズ。その旗手を務めるのは、この男なのかもしれない。
打撃では昨年7月にプロ初本塁打をマーク。今年はさらなるレベルアップを誓う
PROFILE まつい・まさと 1987年11月19日生まれ。群馬県出身。桐生第一高では2年春、同夏に甲子園出場。上武大では2年春から正捕手を務め、4年秋には神宮大会準優勝に輝いている。2010年ドラフト7位で中日に入団。初年度から開幕一軍入りを果たし、13年から第二捕手を務めるようになった。今年は“ポスト谷繁”としての活躍が期待される。昨年までの実働5年間で139試合出場、38安打1本塁打7打点、打率.164。