推定159キロ、捕手がミットを止めることができない剛球
先週号で62年、
巨人・
王貞治が一本足打法で打撃開眼、“青春ホームラン王”となったことを書いたが、王は元甲子園優勝投手(57年センバツ)。このころはもう、「甲子園の優勝投手は大成できない」というジンクスは常識化?していた。なるほど、戦後はそのとおりなのである。
62年、このジンクスに挑戦する何人目かの投手が東映に入団した。61年の夏の選手権を制した浪商の2年生エース・
尾崎行雄だ。“憲政の神様”と言われた大政治家と同姓同名。野球ファンはすぐにその名を覚えた。尾崎は浪商を2年で中退してプロ入りしたのだが、入学早々から阪急がマーク。2年になると各球団のスカウトだけでなく、当時の大監督たちが直接、“尾崎もうで”。尾崎としては中退してプロ入りするしかなかったのだろう、この煩わしさから解放されるために。
「ウチは貧しくて電車賃にもこと欠いて10日も学校に行けないときもあった。そんなところに5000万円の契約金なんて言われるとねえ(実際、阪急は現金5000万円をトランクに詰め込んで“これでどうですか”とやったらしい)」
と尾崎はのちに語っている・・・
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