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盗塁王を2度獲得し巨人のリードオフマンとして活躍した緒方耕一氏、長距離砲が多い巨人の中、「クセ者」としてチームを支えた元木大介氏が「プロ野球チームをつくろう!」に登場。93年の長嶋巨人、94年の日本一などを語っていただいた。

「打席に入れる喜び」が生んだ日本シリーズの満塁本塁打


――「プロ野球チームをつくろう!」を見ていただきましたが、いかがでしたか。

緒方 自分で選手を選べるゲームしか存在しないものだと思っていたので、最初は「えっ」と思いましたが、ランダムに引くということでプレーヤーに公平性が生まれるので納得しました。自分で選手を選ぶとどうしても、同じような選手に偏ってしまうでしょうし。

元木 面白いですね。自分で打ったり、投げたりするゲームは、やはり上手い人が勝つと思うんですよ。でも、これだったら自分でチームを編成すれば、試合はやってくれるのでいいですよね。

緒方 そうだよな。僕らは自分でプレーするゲームは上手くないので、あまり勝てない。

元木 これだったら勝負になりますよね。



――元木さんは91年に巨人に入団しましたが、まずはお互いどう思いましたか。

緒方 大介(元木)は入った時から社交的で、グアムのキャンプの時から特に投手陣、槙原(寛己)さん、宮本(和知)さん、水野(雄仁)さんに可愛がられていたよな。

元木 そうですね。野手の方はほとんどいなかったですね。

――でもキャンプ時は野手との行動が多いんじゃないですか。

元木 それは全然関係なかったですね。

緒方 シーズン中でも野手は毎日に試合に出場するじゃないですか。ローテーション投手は週に1、2回投げるだけなので比較的くつろげる時間がある。大介は毎日試合のはずなんですが、性格的にくつろいでいるタイプなので(笑)、「投手寄り」だったんでしょうね。野手は毎日試合なのでピリピリしている人も多かったし。

元木 野手の方と食事に行くと、野球の話で終わってしまうことが多かった。投手の方はそんなことはなかったんですよ。

――緒方さんは盗塁王を獲ったり、レギュラー選手でしたが、元木さんはどう見ていましたか。

元木 まずはテレビで見ていた人という印象でしたね。一軍の中では一番歳が近かったんですが、近いと言っても3つも上なので、あまり会話をしたことはなかったですね。松井(秀喜)が入団するまで年下もいなかったので、投手陣の方と自然に接していった可能性はありますね。



緒方 そうだな。僕はドラフト6位入団で、プレッシャーはなく、がむしゃらにやって一軍を目指すという立場でしたが、大介は高校時代から有名でドラフト1位、ましてや浪人してまで選んだジャイアンツの道なのでプレッシャーはあったんじゃないですかね。僕らが見ていて、プレッシャーを感じさせない強さはありましたけど。

元木 1年間の浪人で野球の力、スピードが落ちたと感じていたので、入団した時はやばいなと思いましたよ。ジャイアンツに入団することに満足して結果を残せないまま終わってしまい「何やってんだ」と言われるのが嫌だったので、まずは一軍に残らなきゃならないと思いましたしね。でも一軍とのレベルの違いも感じました。浪人中、ハワイの草野球レベルのところでやっていたので、スピードがそこに馴れてしまっていたんですよ。

――1年間でもブランクは大きいですね。

元木 大きかったですよ。投手だったら……例えば1年浪人してジャイアンツに入団した菅野(智之)のように、大学のバックアップもあり、投げようと思えば自分のスピードできっちり投げられるわけじゃないですか。だから投手の方が浪人をするんだったら有利かなと。

緒方 打者が140キロの球を打ちたくても、環境によっては投げる人がいないんですよ。

元木 バッティングマシンの140キロと生きた球の140キロは違いますからね。

――遅い球にタイミングが馴れちゃうんですね。

元木 そうですね。

――元木さんが入団した91、92年はリーグ優勝を逃し、藤田元司監督からミスタープロ野球の長嶋茂雄監督になりました。

緒方 第一次政権(75〜80年)の時を知っている中畑(清)さん、シノ(篠塚和典)さんが「ミスターはユニフォームを着ると厳しいから」と言われたのである程度の覚悟はしていました。でも第一次政権時で伝説となった「地獄の伊東キャンプ」のようなものはなかったでしたね。

元木 僕は長嶋さんが監督になった時は嬉しかったですね。最初は背番号が33番だったのでピンとこなかったんですけど、3番になった時(00年)は「ワー、すげー」と思いましたよ。他チームの選手がサインをもらいに来てましたからね(笑)。身近にいる僕たちは恵まれているなあと感じましたよ。

――長嶋監督の現役時代は知らないんですよね。

緒方 僕が6歳の時に引退されたので、ONということでは王(貞治)さんのホームランの方が印象に残っています。

――長嶋監督の2年目(94年)にリーグ優勝を果たし、西武との日本シリーズも4勝2敗で制して日本一になりましたが、お二人が一緒に出場した日本シリーズはこれが唯一でしたね。

緒方 この時は長嶋監督というより、ジャイアンツが西武に全然勝てなかった時代(それまで4度対戦してすべて敗戦)で、僕がルーキーの年(87年)もコテンパンにやられて(2勝4敗)、90年も屈辱の4連敗。僕らの先輩はリーグ優勝はもちろん、西武を倒して日本一になりたいという気持ちが強かったですよね。だから西武に勝ったということがすごく嬉しかったですね。

――緒方さん自身も4連敗を経験していました。

緒方 90年は第3戦の1打席目にセーフティバントをして出塁したんですけど、一塁で足を痛めて病院へ直行。その後も試合に出られず個人的にも悔しい思いをしましたから、嬉しい日本一でした。



元木 僕が浪人中に4連敗をしたんですよね。だから、西武は強いというイメージでしたね。94年の第1戦(0対11)の時も強いな、すごいなと感じました。ただ僕自身は西武とは初めての対戦だったので、先輩方と違って「思い」はなかったので気持ち的には楽でしたね。目の前の西武を倒すことだけでしたから。でも、先輩方の西武を倒したい気持ちが実現出来て本当に嬉しかったですね。

――2勝2敗の第5戦、1対1の同点から6回表に、緒方さんが起死回生の満塁本塁打。これでシリーズの流れは完全に巨人へ傾きました。

緒方 二死一、二塁で代打の岸川(勝也)さんが四球だったんですよ。次が僕だったんですが、前の試合で代打本塁打を打った大久保(博元)さんがまだベンチに残っていた。僕は代打が送られるのが嫌で急いでバッターボックスに向かった記憶がありますね。後ろから長嶋監督に「オガタ」と呼ばれるのが嫌だったんで(笑)。実は満塁になることはまったく想定外だったんです。岸川さんが打って点が入るか、アウトになってチェンジになるか、四球は考えてなかった。

――素晴らしい本塁打でしたよね。

緒方 無死、一死だったらプレッシャーが掛かったでしょうけど、二死だったので。二死だと打てなくてもしょうがないという気持ちはあるよな?

元木 ほとんどそうですね。

緒方 打てればラッキー。その時は特に打席に入れる喜びの方が大きかった。

――元木さんでも無死、一死で得点圏にランナーがいるケースはプレッシャーでしたか?

元木 僕は打てば点が入ってヒーローになるなという感覚しかなかったんで、打てなかったら「後ろの人お願いします」という感じでしたね。

――でも元木さんは得点圏打率がトップのシーズンもあり、チャンスには強いイメージですよね。

元木 いえいえ。

緒方 おいしいとこ取りだったよ(笑)。



「つなぎ役が自分をアピール出来るベストの形


――元木さんに伺いたいのですが、高校時代はスラッガーでプロでもホームランバッターとして成長していくと思ったのですが、「クセ者」と言われる打者に変わったのはなぜですか。

元木 やはり1年の浪人が大きいんじゃないですかね。全然スピードについて行けなかったし、グアムキャンプで先輩のバッティングを見た時にすごいなと思った。僕が一生懸命打ってギリギリでスタンドインするのに、みんなはポンポン打ち込んでいましたからね。それでも1年目はスラッガーという気持ちでやってはいたのですが、二軍でも結果が伴わなかった。

 当時は原(辰徳)さんが四番で30本塁打ぐらいは打っていましたから、10〜15本ぐらいを打っても目立たないと思いましたね。それでチームの中で打線のつなぎ役が川相(昌弘)さんぐらいしかいなかったので、そういうスタイルでプレーするのが、自分をアピール出来るベストの形だと思いました。でも川相さんと一緒ではダメ。バントではなくランナーを進める右打ちを練習しました。右には打てる自信があったので、苦労はあまりなかったですが、その時点で上田(和明)さんを抜いてると思ったんで(笑)。

緒方 上田さんのことは絶対書いて下さいよ(笑)。

――緒方さんは元木さんのバッティングの変化をどう思いました。

緒方 つなぐバッティングに変えても一発も打てたし、配球を読むのが上手かったですよ。その辺が他の人よりも長けていたと思いますね。あまり配球を読むタイプには見えないでしょうけど。



元木 ジャイアンツ戦に当ててくる投手がエース級が多くて、いつも顔ぶれが一緒だったじゃないですか。もちろん捕手もほとんど変わらない。僕はスコアラーの人と捕手のクセを勉強させてもらって、場面場面での傾向があるので、自信満々で打席に入れました。ヤクルトの古田(敦也)さんはやりやすかったですよ。逆に広島の西山(秀二)さんがケガで欠場して、3連戦で若い捕手が何人も出てき時は読みづらかったですね。

緒方 西山さんは高校(上宮高)の先輩だよな。打たせてもらえたんじゃない。

元木 いやいや。投手の黒田(博樹)が(上宮高の)後輩だから、打たせてくれるかなと思ったけど、西山さんが「お前、黒田がぶつける言うとるぞ」と言ってきたり(笑)。近鉄とのオープン戦の時に捕手の光山(英和)さん(上宮高の先輩)が真っ直ぐのサインばかりを出して、ファウルにしてたら「もうダメだ」と言った。次は変化球だと教えてくれているんだなと思いましたよ。

緒方 オープン戦で一軍に残れるかどうかのレベルで、相手に先輩がいてくれると助かる選手もいるんじゃないですかね。

元木 助かりますよね。その時、投げていたのはエースの阿波野(秀幸)さんですから、僕に打たれても一軍には残るわけじゃないですか。だから光山さんは、後輩にエールを送る配球をできるんですよね。

緒方 僕の日本シリーズの満塁本塁打の時、西武の捕手は(熊本工高の)先輩の伊東(勤)さんでしたが、打たせてもらったわけではないですよ。

元木 それはそうでしょ。日本シリーズですから(笑)。



――「プロ野球チームをつくろう!」をプレーしているユーザーは野球にも詳しい方が多いです。最後に一言お願いします。

緒方 現役選手、OBが出ているゲームをやっていただけるのは、ありがたいです。そういう詳しい方が野球ファンでいるということは僕らももっと勉強しなければならないですね。分かりやすく伝わるように、そういう方たちが納得のいく解説をしていかなければいけないなと思います。

元木 ゲームの監督になっても、実際のプロ野球のプレーには怒らないでほしいですね(笑)。本当のプロ野球では中に入っていないと分からない部分もあるので。実際に野球を見て「あいつ良い選手だよ」と思ってゲームで使ってほしいですね。




PROFILE
緒方耕一 おがた・こういち◎1968年9月2日、熊本県熊本市生まれ。熊本工高時代には3年時に春夏に甲子園出場。ドラフト6位で87年に巨人に入団。スイッチヒッターとなり、89年に一軍初出場し90年と93年に盗塁王を獲得した。98年限りで現役を引退した。通算成績は685試合、486安打、17本塁打、130打点、96盗塁、打率.263。

PROFILE
元木大介 もとき・だいすけ◎1971年12月30日、大阪府豊中市生まれ。上宮高では3度甲子園に出場し、3年春には準優勝。甲子園通算6本塁打。ドラフトでダイエーの1位指名を受けるが入団せず、翌年のドラフトで巨人の1位指名を受け91年に入団。98年には初めて規定打席に到達し、得点圏打率はトップだった。05年限りで現役を引退。通算1205試合、891安打、66本塁打、378打点、21盗塁、打率.262。

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