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広島のOBであり、現在は中国放送(RCC)の解説者として活躍中の山崎隆造氏と高橋建氏。お二人には「プロ野球チームをつくろう!」を体験して頂いた。ゲームの感想から、現役時代の話、さらに黒田博樹投手や新井貴浩選手が復帰して活躍が楽しみな今シーズンの広島のことまで、じっくり語って頂いた。

監督気分を味わえるならぜひやってみたい




――「プロ野球チームをつくろう!」は、オーナー兼監督として自分のオリジナルチームを作り、上位のリーグを目指していくゲームです。実際にご覧になってみていかがでしたか?

山崎 選手を育てたり、チームを強くしたりするコツをつかむまで時間がかかりそうだけど、スマホ世代の若者や、野球が好きの方々にとっては、興味をもって楽しめそうなゲームですね。

高橋 幼い頃は実は巨人ファンだったので、監督だった長嶋茂雄さんの采配を見て「俺だったらこうするのになぁ〜」なんて言いながら、巨人の監督気取りでした(笑)。まさに、監督気分を味わえる「プロ野球チームをつくろう!」は、ぜひやってみたい。野球好きの方って、選手を育てたり、成長過程を見たりすることが好きですもんね。

山崎 実際、自分が監督になって、チームを操るわけですからね。僕の場合は、見るよりもやる方が好きだったからなぁ。実はあまりプロ野球の試合を見ていなかったんですよ(笑)。今は、“カープ女子”が社会現象になったりして、OBとしてはとてもありがたい。

高橋 広島の赤って、かなり目立ちますよね。マツダスタジアムでも赤ユニフォームを着る人が増えてきた。人気が出たんだなぁって思っています。

――実際にゲームをやり始めたら、どんなチームに育てたいですか?

山崎 僕が現役時代の広島が強かったので、同じようなチームにしたい。役割分担をしっかりさせたチームに育てたいですね。打順で言うと、1、2番は足の速い選手、3、4、5番はチャンスに強い選手、6、7番は意外性のある選手、とかね。キャッチャーは、僕らが現役当時は、打てなくてもいいよっていう暗黙の了解があったけど、勝つためには打てるキャッチャーを入れたい。ベンチには、足のスペシャリストがいて、代打の切り札がいて、とにかく一芸に長けた人を入れたい。

――具体的に、選手名をあげるとしたら、どんなオーダーが理想でしょうか?

山崎 広島OBばかりになっちゃうけど、やはり1番は高橋慶彦、2番は山崎隆造、3番は衣笠祥雄、4番は山本浩二、5番は水谷実雄なんかがいいよね。代走のスペシャリストは、今井譲二で。

高橋 僕はピッチャー重視なので、1−0で試合に勝てるようなチームに育てたい。本当なら、その1点は自分が打点をあげたいと思うくらい、自分自身で試合を支配できるチームが理想。だけど、難しいかな(笑)。

山崎 2013年の田中将大投手がいた楽天なんかは、それに近いかな。

高橋 そうですね。試合を支配できるピッチャーが常にローテーションにいてほしい。今年、広島に復帰する黒田博樹は素晴らしいピッチャーなんだけど、なかなか貯金が作れない。マエケンも貯金は作るけれども、田中投手の足元には及ばないし。とはいえ、自分が監督になったら黒田とマエケンはほしいですね。他には、トヨタ自動車の後輩にあたる金子千尋や、横浜高校の後輩の成瀬、涌井、松坂なんかもいいですね。過去に同じユニフォームを着た人たちが同じチームにいるのも面白いかな。

山崎 現役選手でチームを育てるなら、やっぱり、広島の菊・丸コンビみたいな選手はほしいよね。ペナントレースで初優勝したときは、僕自身まだ学生だったんだけど、当時と今とチームの様子が被っているような気がするんですよ。今からどんどん強くなるぞっていう手応えを感じています。



高橋 去年も優勝しそうな雰囲気はあったんです。観客動員数が190万人と前年よりも増えましたし、スター性のある選手も出てきたし。実際に「優勝」と言葉に出す選手も出てきた。

山崎 そうそう。2軍の監督をしていたときからは想像もできないんだけど、丸がね、大人になったんですよ。毎年彼から年賀状を貰うんだけど、筆不精だからメッセージなんて一切ない。なのに今年は「優勝します」と一言書いてくれたんですよ。改めてチームリーダーになったんだなと認めざるを得ませんでした(笑)。

高橋 優勝できるって思うくらい、今のチームがよく見えるんです。キャンプの視察に訪れた時、ブルペンでは球の勢いも感じました。今年は、黒田や新井が帰ってきたっていうのもあるので、さらにチームに勢いがつきそうですよね。開幕3連戦に誰が投げるのか、一番ワクワクしているのは、広島ファンじゃないのかな。僕の予想ですけど、1戦目はマエケン、2戦目は大瀬良、3戦目に黒田っていう、エース級のピッチャーが続くっていうのは素晴らしい。他にも九里だって黙っていられないだろうし、福井は今年こそ殻を破りそうな雰囲気を持ってるし。



山崎 投手の頭数は揃ってるんです、今のところはね(笑)。若い人たちの実力が伴い、チーム全体が底上げされ、選手にも自覚が芽生えてきた。そこに黒田や新井のベテラン勢が入るのはとってもいい展開。優勝への道が開けてきたよね。今年優勝しなきゃいつするの?って感じですよ。



実は穏やかな方だった山本浩二監督


――では、お二人が現役時代のお話を伺います。高橋さんが入団した年、山崎さんはコーチとして広島に在籍していらっしゃいました。当時の高橋さんはどんな選手でしたか?

山崎 建はピッチャーとして入団してきましたけど、バッターに転向したほうが成功するのでは?っていう印象が強かったかな。僕もそうなんですけど、4月生まれは体が弱い(笑)。繊細な部分がありすぎて、比較的ケガが多かったことが残念だった。もっともっといい成績を残せる選手だったはず。そんな印象だったのに、41歳まで現役を続けられたのは素晴らしいことですよ。もちろんそれは彼の努力の賜物だし、技術を持ち得たこともある。念願だったメジャーにも行けたんだから、素質を持った素晴らしいピッチャーだったんだなと思います。



高橋 メジャーより日本の野球の方が緻密で、僕的には精神的なダメージが強かった。しかも、練習量は日本の方が圧倒的に多い。特に入団した当初の広島は練習がきつくて、どうやって逃れようかとばかり考えていました(笑)。

山崎 建はこんなことばっかり言うんですよ(笑)。ただ芯が強い。さっき試合を支配したいって言ってたでしょ? そういうところを隠しているんですよ。人当たりがよくて、穏やかで、優しくて。闘争心はどこにあるの?っていうタイプに見えるんだけど、実際は熱い男なんですよ。

高橋 実はピッチャーが試合を支配してはいけないのもわかっていました。

山崎 そう。若いときはそんな大人の部分も持っていた。左投手っていうこともあって長く現役を続けられたってこともあるけれど、野球センスの塊でしたから。僕は、マエケンの1年目も見てたんですけど、本当に手がかからない子でした。守備をやらせても、打たせても、何をやらせてもうまかった。建もまさにそのタイプでしたね。

高橋 努力はできなかったですけど(笑)。

山崎 左投手っていうのはね、不器用な選手が多いんですよ。大野(豊)さんなんかがそのタイプで相当努力していました。でも、建は器用にこなしていましたからね。

――高橋さんから見た、山崎さんはどんな印象でしたか?

高橋 入団する前に見ていた広島の1番高橋慶彦、2番山崎隆造っていうコンビは、いやらしいバッティングをしていた。もっとも対戦したくない相手でしたね。そんな人がコーチにいるのは、すごいことだなって思いました。ある意味、プロ野球ファンとしては、憧れの人がコーチや二軍監督を務めていたので、素直に嬉しかったですね。そして、山崎さんはノックのセンスがいいんですよ! とっても柔らかく、カコーンって打ってくれるから捕りやすかった。ノックを見てるとその人の野球センスを感じますよね。

――高橋さんといえば、左の中継ぎ、ロングリリーフをこなすというイメージがあります。

高橋 95年に新人賞をとった山内(泰幸)が同期入団なのですが、彼がドラフト1位、僕が4位。2人とも開幕1軍だったのですが、彼にはスポットライトは当たるけど、僕には当たらない。初勝利をあげた試合が、2〜7回をロングリリーフした試合というのが、当時の僕の状況を表していると思います。左の中継ぎは、いつでも投げられるように初回から肩を作って、9回まで常に温めておかないといけなかった。きつかったけれどいい経験をさせてもらいました。投げさせてもらっているっていう立場だと思っていたので、それも苦にはならなかったです。

――2001年には、監督に山本浩二氏が就任し、先発に回りました。

高橋 黒田で開幕して、次の試合はお前に任せたぞって言われたことが嬉しかった。やっと僕にもスポットライトが当たる!と期待を持った年でしたね。結果は、10勝8敗。30歳を過ぎていたのに2ケタ勝てたのは我ながらすごいなって思いましたけど、もう少し早く先発に回りたかったのが正直なところですかね(笑)。

――山崎さんは、レギュラーに定着するかと思われていた81年のオープン戦、右ひざの皿を粉砕骨折されました。

山崎 かなり痛いアクシデントでしたが、それが功を奏して外野のレギュラーに定着。内野手としてプレイしていたら鳴かず飛ばずだったと思うので、大ケガを負いましたけど自分ではいい方に捉えています。ただ、不安もありました。足が取り柄の選手がケガしてしまったんですから、クビも覚悟しましたよ。いいスタッフにも恵まれ、1年は棒に振りましたが、復帰できました。

高橋 相当痛かったんじゃないですか?

山崎 2年ぐらいは痛みと共存しながらプレイしていたかな。その後は、3年連続3割打てたので波に乗れましたね。あと、スイッチヒッターになれたのは大きかった。僕がチャレンジする前に高橋慶彦さんが成功していたから、僕にも指令が下ったんですけど、監督やコーチ陣には感謝しています。その後正田耕三もうまくいき、1、2、3番にスイッチヒッターが並ぶ年もありましたね。対戦相手からすると、相当嫌だったでしょう。当時の大洋のスーパーカートリオか、広島のスイッチトリオか、ってね。



――山本浩二氏は、2度監督に就任されてましたが、お二人は彼の元でプレイされていらっしゃいました。どんな方でしたか?

高橋 僕は2度目に就任された時に一緒でした。浩二さん自身が年齢を重ねていたせいもあるんでしょうけど、穏やかな方でしたね。1度目に就任された時から浩二さんのことを知る佐々岡(真司)さんからは、怖い方だって聞いていたので、全く違う人だなという印象でした。ただ、大スターのオーラは凄かったですね。

山崎 僕も晩年の頃だったからだと思うけど、浩二さんが怒った姿を見たことがなかったね。2回目のときは組閣に入れてもらったけど、浩二さんを男にすることができなかったのが一番の反省点。浩二さんといえばミスター赤ヘルで、広島を象徴するスターの一人。プライベートでも仲良くさせて頂いてるけど、実は寂しがり屋でね。誰かが広島に帰ってきたら、麻雀、ゴルフ、色んな誘いの電話をかけてる方なんですよ。

――印象的だった出来事はありますか?

高橋 僕は、FA権を取得した年に浩二さんが監督になったんです。そんなある日、携帯に知らない番号から着信があり、出てみると浩二さんからでした。前年に金本さんがFAで阪神に行ってしまった時だったから、「FAでお前をよそに行かせたくない」って、言って下さって。戦力として見てもらえていることが嬉しかったです。僕は、他の球団に行くつもりは全然なかったんですけど、権利を取得すると心が動いてしまうんですよ。その心の整理をつけるための言葉を頂きました。今思えば、広島のユニフォームを1年でも長く着るきっかけになったので、浩二さんには感謝の気持ちで一杯です。




PROFILE
山崎隆造 やまさき・りゅうぞう◎1958年4月15日、広島県広島市生まれ。崇徳高校では76年の春の選抜大会で優勝。同年にドラフト1位で広島に入団。78年にスイッチヒッターへ転向。レギュラーに定着後は、3年連続で打率3割を記録。ベストナインは3度、外野手としてゴールデングラブ賞は4度受賞。引退後はコーチ、二軍監督などを経て、12年からは中国放送の野球解説者と、広島のジュニアチームの監督を務めている。通算成績は、1531試合、1404安打、88本塁打、477打点、228盗塁、打率.284。

PROFILE
高橋建 たかはし・けん◎1969年4月16日、神奈川県横浜市生まれ。横浜高校、拓殖大学、トヨタ自動車を経て、94年にドラフト4位で広島に入団。先発にリリーフに大車輪の活躍を果たす。09年にはFA権を行使してメジャーに挑戦。ブルージェイズとマイナー契約を結び、その後メッツに移籍し40歳でメジャーデビュー。10年に再び広島に復帰し、現役を引退。現在は、中国放送とデイリースポーツで野球解説者として活躍中。通算成績(NPBのみ)は、459登板、70勝92敗、5セーブ、1066奪三振、防御率4.33。

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