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レジェンドたちに聞け!

第1回 張本勲「あの頃はロマンがありました」

 

今週号から年末まで、プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビューをお届けする。レジェンド(伝説)を作り上げたレジェンド(伝説的な人物)たちが熱く、激しく語るプロ野球。そこには、プライド、矜持、情熱、そして、男の夢があった。これらは、今のプロ野球に最も必要なものではないのか?レジェンドたちの声に耳を傾けてほしい。
取材・構成=大内隆雄、写真=BBM

初打席は3球三振。
監督にしたたか殴られる


 私などは、プロ野球が、まさに伸び盛りにあるときにこの世界に入りましたから、その点は恵まれていました。それだけでなく、私は23シーズン(59年〜81年)やりましたから、伸び盛りから、プロ野球の頂点の時代までプレーできました。何をもってピークと言うかは、人それぞれでしょうが、とにかく長嶋茂雄王貞治稲尾和久杉浦忠といった人たちが、最高のプレーを見せた時代なのですから、私は、頂点の時代、一番良かった時代だったと思っています。

 伸び盛りと言っても、いまのように何でもそろっているプロ野球とは違いますから、自分で考えて、自分で自分の道を切り開くしかなかった。だから朝から晩まで野球のことだけ考えていました。あのころはロマンがありましたよ、伸び盛りの時代に特有の。これが、われわれの世代の原動力になっていますよね。

張本氏の言うロマンは、当時、日本中に満ちていた、と言うべきだろう。まさに高度成長に向かわんとする時。井上浩一という人の『生き残った帝国ビザンティン』(講談社現代新書)を読んでいたらこんな個所にぶつかった。

「昨日と同じことをしていては今日と同じ明日を迎えることができないという時、人々は新しいものを模索し、社会を作り変えようとする」。

あのころは、まさにそういう時代だった。張本氏と同期入団が、村山実(阪神)、江藤慎一(中日)、王貞治(巨人)らの各選手。1年前の58年には、長嶋茂雄(巨人)、杉浦忠(南海)らがプロの世界に入り、プロ野球という社会を作り変えようとしていた。


 プロ1年目のキャンプではコーチの松木謙治郎さんに「お前の場合、イロハから出直しや」と全否定され、そこから、必死で打撃改造に取り組むという苦しみがありましたが、それでも、監督の岩本義行さんは、同じ広島出身というよしみか、4月10日の本拠地・駒沢球場での開幕戦(対阪急)にスタメン出場させてくれた。六番・レフトですよ。先発は米田哲也さん。前年23勝のパ・リーグを代表する投手です。で、先輩連も「米田を打つには、あまりキレのないしょんべんカーブを狙うことだ」とアドバイスしてくれた。

 それをしっかり頭に入れた私に米田さんは、ドン、ドン、ド〜ンとストレートばかり3球投げてきたのです。何が何だか分からんうちに3球三振です。ベンチに戻ってくると、岩本さんにヘルメットの上から思い切りぶん殴られました。「お前、何やっとるんじゃ! このピッチャーは99.9パーセント真っすぐでくるんじゃ!」。私は、殴られても腹は立ちませんでした。自分に力がないんですから。それに「この世界は油断もスキもあったもんじゃないな」というのをしたたか味わわされましたから(笑)。

先輩連のやっかみというかイタズラというか、そういうものは、この時代に付きものだった。プロの洗礼とでも言おうか。元西鉄の豊田泰光氏は1年目、どうにもカーブが打てず、ある先輩に「どうかカーブ打ちを教えてください」と頭を下げると「教えてほしいならゼニ持ってこい!」と追い返された。また同氏は巨人とのオープン戦で、一塁に出ると、そこには“神様”川上哲治一塁手がいたので思わず「新人の豊田です。よろしくお願いします」と最敬礼。川上氏の「おおそうか」という声と、バシッとミットが頭に当たるのが同時だった。けん制アウト。こういう話は現代のプロ野球から消えてしまって久しい。「仲良しプロ野球」からは球史に残るようなレジェンドは生まれない。

東京にあこがれ東映に。
しかし、中日の契約金は3倍だった


 開幕戦では、守備で凡失もあり、ここで交代させられました。「もう、当分一軍はないな。二軍で2、3年やるか」とあきらめました。あきらめたのですが、それでも自分がみじめで、合宿先に帰っても眠れんのです。

 翌朝、マネジャーが呼びに来たので「やっぱり……」と覚悟したのですが「オイ、今日もスタメンで六番・レフトでいくぞ」。これは、うれしかったですねえ。まだオレにはチャンスがある。で、この試合の初打席でプロ初安打のタイムリー二塁打。次の打席では石井茂雄さんから、右へ2ラン。

 これで私は、「やれる!」の感じをつかみ、6月には四番を任されるまでになり、この年打率.275、13本塁打、57打点の成績で新人王を獲得することになるのです。めぐってきたチャンスは、プロでは絶対にモノにしないといかんのです。

 これで私を育ててくれた母親(朴順分さん)、学校に行かせてくれた兄(世烈氏)に恩返しができたのでした。ここで、プロ入りするまでの私を少し語りましょう。

 浪商高に進むまでには地元の高校に“拒否”されたりいろいろあったのですが、兄が「学費、生活費は心配するな。行け」と大阪に送り出してくれた。これで、現在の私があるわけです。浪商高でも、いろいろ理不尽なことが重なって、私は甲子園に行くチャンスを失った。

 ただ、いい思い出もありました。高2のとき、巨人の水原茂監督が・・・

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