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レジェンドたちに聞け!

第3回 平松政次インタビュー「あのころの投手たちはセンスのかたまり」

 

シュートを武器にONを擁する巨人に真っ向勝負を挑んだ男。対巨人通算51勝は歴代2位だ。プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー第3回は元大洋のエース、平松政次氏の登場だ。
取材・構成=大内隆雄、写真=BBM

長嶋の打席ではいつでも3球三振を狙っていた


今回は手の大きさの話から始めたい。いまはない後楽園球場の正面玄関を入るとすぐのところに、プロ野球選手の手型を押した壁面があった。ファンは、この手型のへこみに自分の手を合わせて楽しむワケだが、この中に、ベラボウに指の長い選手が1人いた。それが今回の平松政次氏だ。取材・構成者の手もかなり大きい方で、杉下茂(元中日ほか)、村山実(元阪神)の歴史に残るフォークボーラーと手を比べても、ほぼ同じだった。ところが、平松氏ときたらひと関節ほども指が長いのだ!平松氏がフォークボールを投げたら、一体どんなボールになっただろうか?しかし、平松氏は、フォークではなくシュートでプロ野球にその名を残した。いずれにしろ、手が大きいことは、好投手の必須の条件なのだろう。


 私は、アマ時代、いわゆるアーム式で真上から投げていました。これだと低めが伸びないんです。江夏(豊氏、元阪神ほか)の低めにグ〜ンと伸びるストレートを見るにつけ、これではいかんと、3年目の1969年、少し横から投げるようにして、ヒジの使い方を体に覚えさせるようにしました。これがよかったのか、この年14勝しましたが、まだ自分としては満足できなかった。翌70年は、ようやく納得のいく自分のフォームになり、25勝できたワケです。

最もスピードのあった70年頃のフォーム。この粘りのある下半身から“カミソリシュート”が生まれた


ヒジの使い方を覚えた平松氏は、あのカミソリシュートを投げても、まったくヒジに負担がかからなかったという。長い指を少しずらす感じで、左肩も投げる瞬間ほんのちょっと開くぐらいで、打者には「シュートで来るな」というのがほとんど分からない。平松氏のボールを受けた土井淳氏(元大洋)は「長嶋(茂雄氏)は、平松のシュートが来る前に打席から逃げちゃうんだから。また逃げたところに来るんだよ。さすが動物的カンだね」とよく言っていたが、平松氏のシュートは、真横に滑る感じで、言わば逆スライダー。右打者は、カットして逃げるのさえ至難のワザだった。

 長嶋さんは、小さいときからのあこがれの人でしたからねえ・・・

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“レジェンド”たちに聞け!

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プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー。

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