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レジェンドに聞け!

第5回 衣笠祥雄「プロ野球80年の栄光の歴史は先人たちの努力のたまもの」

 

プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー第5回は衣笠祥雄氏の登場だ。広島の主力として初優勝に貢献し、黄金時代を築き上げた“鉄人”。2215試合連続出場の大記録を持つ男が歩んだ野球人生とは――。
取材・構成=大内隆雄、写真=BBM



野球のおかげで人生の落とし穴を避けられた


 よく「衣笠さんは野球をやらなかったら何をしていましたか?」という質問を受けるのですが、これには答えようがないのです。私には、野球しか考えられないからです。ほかの仕事など想像がつかない。だって、私は野球に救われたのですから。たまたま中学で野球を知り、それに打ち込むことで、世の中の落とし穴にはまることがなかった。この落とし穴は、中学でも、高校でも、大学でも、社会人でも、その段階、段階で必ずあります。私は、野球のおかげでその落とし穴を避けることができたのです。

 これは日本の野球の世界、とくにプロ野球の世界が、私を生かしてくれる、素晴らしい世界だったからです。プロ野球80年の栄光の歴史は、先人たちの努力のたまものです。この努力に対しては、いくら感謝しても感謝し過ぎるということはありません。現役のプロ野球選手諸君は、ここを分かってほしい。私が子どものころあこがれたように、今の選手は子どもたちのあこがれの人になってほしいのです。そうなることで、また歴史がつながっていく。プロ野球が衰退してしまったら、先人にも次の人たちにも申し訳が立ちません。

これは、インタビューの最後に、熱のこもった口調で衣笠氏が語った結論だった。野球が天職だった、というより、プロ野球の世界が、野球を衣笠氏の天職にしてくれた、ということだろう。たしかに、衣笠氏がプロ入りした1965年ごろからの20年は、プロ野球の黄金時代だった。ここまでに登場していただいた張本、田淵、平松、柴田の各氏も、この黄金時代を生き抜いた人たちばかり。取材・構成者も、この黄金時代については、何度でも、いろんな人に語ってもらいたいと思うのだ。語っても、語っても語り尽くせないのがこの時代。読者もここから「明日のあるべきプロ野球」を考えるための材料を引き出していただきたい。

忘れられない広島V1の試合
不安と緊張の日々


 私は2700試合近くに出場していますが、一番忘れられない試合と言えば、初優勝を決めた試合でしょうねえ(75年10月15日、対巨人、後楽園)。この日の後楽園球場のスタンドを見てビックリしました。広島ファンの赤い帽子と巨人ファンの黒い帽子で見事に2つに分かれている。スタンダールじゃないけど『赤と黒』の世界ですよ(笑)。赤一色に近かった?

 いや、そうでもなかったですよ。でも・・・

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“レジェンド”たちに聞け!

“レジェンド”たちに聞け!

プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー。

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