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第21回 松原誠「(巨人に入って)大洋がさらに弱く見えてしまった」

 

「ミスター・ホエールズ」と呼ばれ、通算2000安打、300本塁打超えという偉大なる成績を残した。ONという絶対的存在と同時期、同ポジションでプレーし、タイトルとは無縁だったが、攻守でファンを魅了し続けた松原誠氏が、大洋、そして巨人で戦う中で出会った監督、好投手、そして自らの人生について語る。
取材・構成=大内隆雄 写真=BBM



ダイヤモンドグラブだけは獲りたかった。「そこはオレだろう」の自信


プロ野球の歴史の中で、同時代にあまりに偉大な選手が同じポジションにいたことで、その偉大な選手の影の中にスッポリとおさまってしまい、陽の目を見ずに野球人生を終える不運な選手は数多くいた。

松原氏も見ようによっては、その不運な選手の1人と見なされるかもしれない。一塁手にほぼ定着したときには、すでに“世界の”王貞治(巨人)が君臨しており、三塁手にコンバートされると、そこには“ミスター”長嶋茂雄(巨人)がいた。

これはなかなかにつらいというか、いい加減腐ってしまいそうな立場である。しかし、松原氏はONの影など気にせず、自らが発光源となって、その影を消してしまった。長嶋より3年長くプレーして、長嶋も王も及ばないシーズン45二塁打(78年。05年までセ・リーグ記録)をマークしている。78年のリーグ最多安打164は、長嶋も王も何度も最多安打を記録しているが、この数には及ばなかった。腐るどころかONもやれなかったことをやってしまったのだから、これは相当にしぶとく、したたかな野球人生だった。


 それでもね、ダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)だけは、こちらに回してほしかったなあ(のちに触れるが、松原氏は両脚をペタリと地面につける、いわゆる“タコ足捕球”が得意で、「見せる一塁手」だった)。表彰が始まった年(72年)には、もう「一塁守備ならオレだろう」の自信がありました。それが王さんがやめるまで(80年)受賞でしょう。まあ、分かるんですよ。投票する人の気持ちは。でもやっぱり「オレだろう」でしたよ。いやね、こんなことも考えたんですよ。もし、私が受賞したら「こんなものいらん!」と突き返してやるぞ、と(笑)。

一塁の守備には絶対の自信を持っていた。走者は巨人・張本勲



松原氏の、この“過激なる精神”がONの影から飛び出す原動力になったのだろう。「オレだろう」の自信の結晶とも言うべき、両脚ペタリの“タコ足捕球”から語ってもらおう。

 私はもともと捕手で1年目(62年)は33試合マスクをかぶっています。しかし・・・

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