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わが思い出のゲーム

若菜嘉晴氏が語る 思い出の“江川卓デビュー戦”

 

2度にわたる“怪物”とのニアミス──。多くの球団で正捕手として活躍してきた若菜嘉晴の心に強く残るのは、1979年6月2日 巨人阪神(後楽園)、日本中の注目を集めた江川卓のデビュー戦だ。
構成=杉浦多夢


実現することがなかった“怪物”とのバッテリー


若菜嘉晴は1971年のドラフト4位指名で西鉄ライオンズに入団。チームが太平洋クラブ、クラウンライターと変わる激動の中で徐々に頭角を表し、78年のオフに阪神へ移籍した。その道程で、江川卓と2度にわたるニアミスが起きていた。若菜がバッテリーを組むことになっていたかもしれない“怪物”は、日本中の注目を集める騒動を巻き起こし、その熱狂が冷めやらぬまま迎えた79年6月2日、プロ初登板を果たす。その相手は、当時若菜が所属していた因縁深い阪神タイガースだった。

因縁の試合は江川が深々と頭を下げて始まった


 1977年のオールスターゲームも思い出深いですけどね。福岡出身ですし、当時はクラウンライターにいたので、平和台球場での第1戦は完全に地元のゲーム。ようやく前年から試合に出られるようになってきて、77年はたまたまほかの捕手の調子が悪いこともあって、たくさん試合に出してもらっていた。前半戦で打率も3割近くあったから、当時阪急の監督だった上田利治さんが選んでくれて、そうしたらホームランまで打っちゃった。

 実は75年のオフに、僕はクビになりかけてたんですよ。そんな中で、秋に恒例となっていたジャイアンツとのオープン戦があった。そのときに当時の長嶋茂雄監督が僕のスローイングや動きを見て、「あの選手いいな、欲しい」と言ったらしいんです。次の日の西日本新聞に、長嶋がいいと言った、という記事が載って、そうしたら球団が、長嶋さんが言うんだったらもう一年置いておこうかって、なんとかクビがつながった。ただ後から聞いた話だと、長嶋さんは僕の名前を知らなかったみたいだし、自分がそう言ったことも覚えてなかったみたいですけど(笑)。

 それでも、1試合を選べと言われたら1979年6月2日、江川卓のプロ初登板の試合ですね。実はね、僕は江川と2度“バッテリーを組むはずだった”という機会があったんです。最初は77年秋のドラフトで、僕が所属していたクラウンライターが江川を1位指名したんですけど、「福岡は遠いから嫌だ」と言って彼は断った。2度目は翌78年、“空白の一日”があって、ドラフトでは阪神が交渉権を獲得した。僕はこの年のオフに阪神へ移籍していたから、江川がそのまま入団していたら79年のシーズンにバッテリーを組んでいたかもしれない。

 結局、小林繁さんとのトレードで江川は巨人に入った。そして僕は小林さんとバッテリーを組むことになった。江川は約2カ月、球団が一軍の試合出場を自粛して、一軍初登板となったのが6月2日、後楽園での阪神戦。日本中の注目を集めた、異様な雰囲気の試合になりましたね。

 ジャイアンツにしてみたら小林さんとの対戦を望んでいたのかもしれないけど、阪神はその挑発に乗らなかった。その年は最後まで小林さんを江川に当てませんでしたね。当てたのは次の年になってからです。阪神としては絶対に勝たなければならないという気持ちでチーム全員が臨んでいました。ユニフォームは一度も着ていないけど、形の上では江川は阪神のOBなわけですよ。そういうわがままを通したピッチャーを、簡単に勝たせるわけにはいかない・・・

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