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わが思い出のゲーム

元広島・小早川毅彦の思い出の試合 「ボールが空気を斬る音とバットのスイング音くらいしか聞こえなかった」

 

1987年9月20日、広島巨人(広島市民)。球史に残る名勝負だった──。高校時代から“怪物“と呼ばれた巨人の江川卓が引退を決めた1本のホームランがあった。それを放った、当時広島の四番だった小早川毅彦氏は、「あれはZONE(ゾーン※)に入った一発だった」と振り返る。以下、小早川氏の回想をまじえ、運命の試合を振り返っていく。
※ある限られた条件のもとで、科学の常識では考えられないパフォーマンスを発揮する状態。元巨人、“打撃の神様”川上哲治の有名な言葉、「ボールが止まって見えた」などがその例となる。
取材・構成=井口英規


絶好調時に戻った江川


 打者の目からは、浮かび上がるようにも見えた快速球を武器とした巨人・江川卓。ストレート待ちのバッターにストレートを投げ込み、相手の想定以上の球速と伸びで空振りを取ることに美学を持っていた男だ。渾身の快速球対強打者のフルスイング。そこには見る者を魅了する凄すごみがあった。

 だが、プロ野球選手・江川の“旬”は短かった。1980、81年と2年連続最多勝も、19勝を挙げた82年後半に肩を痛め、球威が一気に落ちる。それでも2ケタ勝利は続け、86年は16勝、迎えた87年も8月終了時点で好調な打線にも支えられ、12勝2敗と大きく勝ち越していた。ただ、肩の調子は悪化の一途。だましだましのピッチングが続き、9月に入ってからは2連敗を喫していた。

 この試合の先発が江川だ。

「あの日の江川さんは、状態がすごくいいなと思いましたね。調子の良し悪しからなのか、調整して投げ分けているのかは分からないですけど、江川さんは抑えにくるときと、そうじゃないときがまったく違うんですよ。あのときは立ち上がりからすべて“抑えにきてる球”でした」

 当時、目立っていた“かわすピッチング”ではなく、全盛期だった81年前後と同様、ストレート主体の“攻めるピッチング”で、1回から4回まですべて3者凡退に斬って取る。

「ほんと速かった。ほかの打者の打ち取られ方を見ても、まったく対応できていませんでした。抑えの佐々木主浩(元横浜)、藤川球児(阪神)が全盛期のとき、力でねじ伏せるようなピッチングをしましたよね。相手が手も足も出ないような。そういう打ち取り方を初回からしていましたね」

 広島先発の金石昭人も好投を続け、3回を1安打無失点。しかし、4回表、巨人が篠塚利夫のタイムリー二塁打で先制する。小早川の2打席目は5回の先頭だ・・・

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