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わが思い出のゲーム

川崎憲次郎の思い出の試合 「プロで生きていく上で厳しくも道を示してくれた1球だった」

 

1990年の高卒2年目から2ケタ勝利を挙げ、93年に日本シリーズMVPを獲得。98年には17勝(10敗)で沢村賞、最多勝を獲得。ヤクルトのエースとして活躍した川崎憲次郎。2001年にFAで中日に移籍後は右肩痛に苦しんだ。その川崎の思い出に残る試合は2試合。プロの投手として長く活躍するために教訓となった試合と人の温かみを感じた試合だった。
取材・構成=椎屋博幸


目の前の1球をおろそかに


高卒ルーキー時代、初完封の相手が巨人だった(89年9月2日=神宮)。翌90年は先発ローテーションを守り、巨人相手に2完投2完封。さらにこの9月8日の巨人戦まで前2試合で完投(対阪神)、完封(対中日)とまさに、飛ぶ鳥を落とす勢いの中で迎えた試合だった。一方、巨人はリーグ優勝へマジック1。目の前での胴上げを阻止すべく8回まで2失点と、好調な投球は続いていた。

 プロ入り2年目で先発ローテーションを任され、イケイケの時期。チームとしても目前での巨人の優勝を阻止しようという緊張感がありました。新人のときに巨人に2勝を挙げ、90年もこの試合まで4勝(3敗)で投球内容も良かったので苦手意識はあまりなかった。でも、この試合は絶対に勝たないといけないというプレッシャーがありました。

 巨人の中で当時一番イヤな打者は、川相(川相昌弘)さん。なかなかアウトにならないし、追い込んでもファウルで粘られるし、時に長打もある。こんなイヤな選手はいませんでした。しかし、この試合では欠場。代わりに入っていたのが同じようなタイプの上田(上田和明)さん。一番にはこれまた巨人で川相さんの次に苦手な緒方(緒方耕一)さんでした。

 8回に池山(池山隆寛)さんの同点本塁打で振り出しに戻してもらい「よし!」という9回裏。八番の村田(村田真一)さんに四球、九番の宮本(宮本和知)さんに送りバントを決められ一死二塁。サヨナラの場面。ここで緒方さんが打席に。めちゃくちゃ緊張しましたが気合で投げた内角の胸元のシュート気味の真っすぐで二塁フライに。ホッとしているときにあまり得意ではない上田さんに代打・大森(大森剛)さん。このときに「しめた」と思いました。実は、クロマティや原(原辰徳)さんは、怖い打者ですが、コントロールさえ間違えなければ大丈夫と思っていたんです・・・

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