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野球浪漫2014

スワローズの“スーパーサブ” 三輪正義の原点

 

限られた出場機会の中で、コツコツと積み上げてきたプロ野球人生。7年間で80試合以上に出場した年はない。それでも一軍のベンチで、その時が来るのを待っている。軟式野球、独立リーグを経由し、多くの経験を積んできたからこそ見つけた、プロでの生きる道。ひとつのミスが勝敗を左右する緊張感の中、冷静かつ大胆に駆け抜けるユーティリティープレーヤーの原点とは。



『本当のプロ』の姿


 試合は終盤。攻防が佳境にさしかかるころ、ヤクルトのベンチ裏にコンクリートを蹴るスパイクの音が響きだす。神宮球場ならばわずか15メートルほどの薄暗がりの通路、ビジター球場ではチアガールやスタッフが行き来する通路でもスペースを見つけ三輪正義はひとり、ダッシュを繰り返す。

 小川淳司監督は言う。

「誰に言われるでもなく、試合の空気を察して気付くとアップをしている。出場機会はないかもしれない。でも彼は自分の役割に対しての練習と準備を怠ることなく、毎日続けている。これこそ本当のプロだなと思いますよ」

 2008年の入団以来、昨シーズンまで一軍の出場は207試合。うち先発出場は20試合に過ぎない。俊足を生かした代走、バントやスクイズなど細かい作戦を担う代打、そして守備固め。試合の流れを変える1ピースとして、自分の存在価値を知るからこそ、三輪はいつも準備を欠かさない。

 30歳を超えても続ける日課がある。神宮球場でのナイターなら昼前には室内練習場でティー打撃をし、その日の状態を確認しながら納得のいくまでバント練習を続ける。全体練習では内外野すべてのポジションでノックを受ける。プロ入り後、内外野の全ポジションで出場。昨シーズン途中には、ケガ人が相次いだ捕手の練習にも急きょ取り組んだ。『ユーティリティープレーヤー』三輪を突き動かす思いはひとつだ。

「必要とされたい。そりゃ先発で出た方がお金は稼げるけど、僕は何か足りないからそうできない。だから必要とされる選手になることが大事なのかなと思う」



恩師の言葉


 山口・下関市生まれ。母・章子さんは生まれたばかりの愛息を抱いた瞬間、「ふくらはぎが太い子だなあ」と思ったそうだ。幼いころ病気で入院したときは、足に点滴を打とうとした看護婦がギブアップ。バタバタと動かす足の力が強過ぎて手に負えなかった。ボクシング競技をしていた父・義夫さんから「何をやるにも走ることが基本だぞ」と言われて育った三輪は、徒競走では負け知らず。中学時代はボーイズリーグで遊撃手を務めながら、陸上部に所属していたこともある。

 県立の下関中央工高に進むと1年から内野のレギュラーとして試合に出場した三輪に、その後の野球人生に残る出来事があった。1年の夏休みの練習中、突然、山崎康浩監督(現・南陽工高監督)に呼び出された。

「ワシはおまえのことが嫌いなんじゃ。でもなんで使っているか分かるか? お前は・・・

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