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野球浪漫2014

嘉弥真新也[福岡ソフトバンク・投手]

 

 12球団一の陣容を誇るソフトバンクのブルペンにいる。周りを見渡せば、13年まで3年連続チーム最多登板の森福允彦がいて、日本、メジャーで複数球団を渡り歩き、酸いも甘いも知り尽くした五十嵐亮太岡島秀樹サファテがいる。7月2日現在、今季開幕から一度も出場選手登録を抹消されることなく一軍で働き続けているのは、リリーフ陣ではこの4人と自分だけ。4人と対等の力を有しているとは思わない。でももっと力をつけて、試合を左右する局面の仕事を任されるようになりたいと思う。さらに言うならば、“先発”だっていつの日か……。だが、こうも思う。「なんでここに立っているんだろう」。故郷・石垣島でボールを追ったあの日の少年が、プロのマウンドにいる。やめる時機を探り続けた野球を生業としている。



商工じゃなく農林だった

 今年、嘉弥真新也の母校・八重山農林の夏はあっけなく終わった。南北海道と並んで全国49地区で最も甲子園地区大会の開幕が早い沖縄大会初日の6月21日、2対7の敗戦だった。「僕もそうだったんですよ」。07 年夏の沖縄大会の初日、1回戦で那覇商に敗れた。背番号8を背負った左腕は、5対3とリードした8回、満塁のピンチでエースからマウンドを引き継いだ。しかし、その回に1点差に詰め寄られると、9回に同点を許す。そして延長11回表、一死二塁から決勝のタイムリーを浴び、あっけなく高校野球の幕は下りた。

「野球はそこで終わろうと思っていたんです」

 元来、野球への思い、甲子園への思いを強く持っていたわけではない。

「真剣に、という感じではなかったです。うまくなろうとか、結果にこだわっていたとかっていうのは全然なく、ただ何となく、一生懸命練習していただけ」という3年間だった。

 熱帯園芸科で学んだ。実習では島特有の草花、植物を育てた。警察官採用試験を受けようと漠然と思っていた。野球でレギュラーになったのは2年の秋で打撃が得意だった。ポジションはセンターで投手としては2番手。同級生に右の本格派のエースがいた。「すごかったんですよ、肩強くて、球速くて。いや、自分がたいしたことなかった(笑)。でも、今は自分の方がすごいっすよ」。同級生は6人の小所帯。「全然強くなかった」というチームで白球を追った。

 石垣島には3つの高校がある。八重山農林のほかに、八重山高と八重山商工である。高校野球ファンにとって八重山商工は記憶に残るチームではないだろうか。

 田中将大(現ヤンキース)がいた駒大苫小牧と斎藤佑樹(現日本ハム)がいた早実が決勝再試合の熱戦を演じた06年の夏の甲子園・・・

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