週刊ベースボールONLINE

中日・赤坂和幸

 

投打で光る才能を見せ、ドラ1でプロの門をたたいた。しかし、待ち受けていたのは屈辱の日々。プライドをへし折られ、投手失格の烙印を押され、背番号は3ケタとなった。外野手として何もかもがゼロの状態から再出発。それでもあきらめずに今季、やっと一筋の光をつかんだ。
文=吉見淳司、写真=前島進

無我夢中の初打席


 プロ8年目で初めて臨む本拠地での一軍戦には大勢の観客が詰め寄せていた。2015年7月11日。ナゴヤドームで行われた中日広島戦の観衆は3万7332人。同日時点で今季4番目の大入りを記録したファンに囲まれたグラウンドで、赤坂和幸は高揚感を抑え切れなかった。

「ファームでもここで試合をやっていましたが、全然違いますね。別のところで野球をしているんだなって」

 当日に自身7年ぶり、野手としては初めてとなる一軍登録をされたばかりだった。試合開始は15時。スターティングラインアップに名前はなかったが、いつ出番が回ってきてもいいように注意しながら試合を見守った。

 0対0のまま、試合は5回に突入。先発の八木智哉は好投していたが、そのまま行けば次のイニングには打順が回ってくる。しかも相手先発は左腕のジョンソン。赤坂はバットを握り締め、ベンチ裏のスイングルームへと向かった。

 高まる鼓動を鎮めるかのようにひたすらにバットを振るう。両チーム無得点で1イニングずつを終え、6回裏の先頭は九番・八木から。そのとき、達川光男バッテリーコーチがスイングルームに顔をのぞかせた。

「おい、“六本木”!行くぞ!」

「『こんなときでも冗談を言うんだ』と思いましたね」。赤坂は当時を回想して苦笑するが、そのときは笑っている余裕などなかった。現に緊張のせいか、念願だった初打席の記憶は途切れがちだ。

「打ち気満々で打席に入ったはずなんですけど、次に出て来る記憶が追い込まれたところなんですよね。『ああ、振らなきゃダメだ。打たなきゃ』と考えていました」

 バットを振らないまま2球であっという間に2ストライクとされ、3球目。ジョンソンが投じた低めのボール気味のスライダーに食らいつくと、打球はセカンドの後方にふらふらと上がった。――落ちろ、落ちろ、落ちろ!打球がセンターの前で弾む。ファンが沸き上がる中、赤坂は一塁ベース上で弾んだ息を整えていた。

 投手失格から野手転向へ。ドラフト1位から育成契約へ。天国から地獄を味わいながら、再びはい上がった男の執念が乗り移った一打だった。

今季初出場を果たした7月11日の広島戦[ナゴヤドーム]でお立ち台に立ち、「夢のよう」と万感の表情[写真=川口洋邦]



投手の終わり


 2007年秋。大阪桐蔭高・中田翔(現日本ハム)、成田高・唐川侑己(現ロッテ)、仙台育英高・佐藤由規(現ヤクルト)の高校BIG3がドラフト戦線を賑わせる中、浦和学院高の赤坂も最速146キロを投じた快腕と、高校通算58本塁打をマークした豪打で目玉選手の一人と見られていた。

 多くの球団は野手としての才能を買っていたが、ドラフト1位指名した中日は投手としての育成を約束。そしてそれは赤坂自身の希望とも重なっていた。

「今思えば、プロの厳しさを知らなかった・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

野球浪漫

野球浪漫

苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング