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今季復活の日本ハム・吉川光夫を救った武田勝・田中賢の言葉、そして刻まれている母の教え

 

2007年、高卒1年目で19試合に登板して4勝3敗。上々のスタートを切ったが、2年目に2勝止まりで、その後は3年間勝利から見放される。12年は14勝で日本ハムを優勝に導き、MVPを獲得した。だが、翌年はリーグ最多の15敗と再び沈んだ。激しい浮き沈みを繰り返した吉川が、今季は再び上昇した。
文=高橋和詩(スポーツライター)、写真=高原由佳、BBM



3年ぶり2ケタ勝利も不満


 時に力強い言葉に、出合う。人生を変え、変わる。兼備しているリアリズムとストイックさで甘受しながら、激動の野球人生を突き進んできた選手がいる。

 日本ハム・吉川光夫

 享受されてきた数々の金言が、難局を乗り越える原動力になった。それを消化できる、持って生まれたポテンシャルに、聞く耳の柔軟さ、確かさが、選手としての生命力の根源になっている。幾多の難局を打開し、着実にステップアップしてきた強みの1つだ。

 日本球界では希少価値が高い、先発左腕のトップランナーだ。9年目の今季は11勝8敗。1年間、先発ローテーションを守り抜いて、プロ入り最多タイの年間26試合登板。3年ぶりの2ケタ勝利を挙げた。防御率は3.84。2位でクライマックスシリーズへ進出した立役者の1人だ。及第点とも言える成績を残したが、27歳の求道者は、それでも悔恨の念を募らせる。

「難しいですね。できた部分もありますし、できなかった部分もあるなというのが現時点での思いです。もうちょっとできたんじゃないかな、というのが僕自身にはあるんです。防御率を2点台にしたかった気持ちがあります」

 自己評価は極めて厳しいが、復活と位置付けてもいいシーズンを過ごした。3年前の2012年は初めて先発に定着し、自己最多14勝をマーク。リーグ制覇へとけん引し、パ・リーグMVPを獲得した。栗山英樹監督の就任1年目を、華やかに彩った。それまで3年間は未勝利に終わり、プロ入り5年間でも計6勝。1年目の07年に記録した4勝を超えることができず、豊かな才能が迷宮入りしていた。それが突如、花開いたのだ。

 大ブレークの起点と、周囲は確信していた12年から再び2年間、試練の時を過ごすことになった。どのように、また羽を広げて飛躍できたのか。ひもとくカギがある。

 殻を破ったかに見えた翌13年は7勝15敗。14年は3勝4敗にとどまった。この2年間が今季の飛躍につながる土台になった。リーグ最多の黒星を喫した13年に、初めて学んだ視点がある。尊敬するベテランで、同じ先発左腕として実績のある武田勝が救いの手を差し伸べた。1つの言葉だった。

「あのとき、ちょうどマサルさんと一緒にローテーションを回っていました。良かった年の次のシーズンでしたから。不振のときに言われたんですけれど・・・

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