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野球浪漫2015
苦しむ右腕・小松聖の今に迫る「プライドはもう捨てました」

 

飛躍、低迷、故障――。輝きを放った、かつての新人王も、ここ数年は、もがき苦しんでいる。与えられたポジションは、先発から中継ぎへ。プライドを捨て去り、「新たな自分でやっていく」と、語る右腕。それでも、“自分らしさ”は失わない。
文=喜瀬雅則(産経新聞社)、写真=高原由佳

忘れない“恐怖の思い”


 その右腕で、まばゆいばかりの輝きを放ったときがあった。

 2008年、15勝3敗。

 プロ2年目の小松聖が投げると、オリックスは負けなかった。しかもパ・リーグの球団相手には15勝1敗。チームが敗れた次の試合で11度先発して10勝1敗。その数字も内容も、まさしく「エース」の称号にふさわしいものだった。

 チームはクライマックスシリーズに初進出。敗れはしたが、小松はファーストステージ第2戦の先発を担った。記者投票で選ばれる新人王でも、全171票のうち、170票を獲得し、文句なしの選出。翌09年には、WBC日本代表として、日本の連覇に貢献した。オリックスの、そしてこれからの日本球界を引っ張っていくスターになる。誰もが、そう信じて疑わなかった3年目のシーズン、その状況は一変した。

「こんなはずじゃない。そう思っていました。リセットができなかったんです。毎試合毎試合、溜めこんでしまいました。何て言ったらいいんでしょうね。こう……」

 小松は、苦悩の日々を自らの言葉で必死に表現しようとしてくれた。その姿は、以前の『自分』に対峙し、語りかけるかのようだった。

「邪魔するものを、自分の中で作っていましたね。当然、プライドもありました。自分が、自分でいればよかったんですけどね。人の目じゃないですけど、何かを気にしていた部分があったんです」

 WBCから帰国後、オープン戦での調整を1試合挟み、初めての開幕投手を務めた09年4月3日のソフトバンク戦は、5回7失点の大炎上。中6日で臨んだ同10日のロッテ戦も4回6失点。当時、監督の大石大二郎は「明らかに本来の小松じゃない」と首をひねり、同11日に二軍へ落とした。初勝利を挙げたのは7月15日。しかし、その白星1つだけで、シーズンは終わった。

 09年、1勝9敗。

 140キロ後半のストレート、鋭いスライダー、さらには110キロ台のスローカーブ。このコンビネーションに、右打者の腰を引かせるシュートを本格的に加えようとしていた。WBCでダルビッシュ有松坂大輔が活用し、並みいる海外の強打者を封じ込めている姿に「ガツガツいかなくてもいいんだな」。

 日本のエースと言える2人の圧倒的で、かつ頭脳的な投球スタイルに、小松も感じるものがあった。しかし、幅を広げ過ぎたのかもしれない。

「いろいろと小細工してしまうじゃないですか。シュートも、その前の年から使ってはいたんですけど、要は精度が悪かったら真っすぐと一緒ですしね」

 10年、監督に就任した岡田彰布は、小松を「ストッパー」に据える新構想をぶち上げた。しかし結局、守護神の座も開幕直後はジョン・レスター、6月からは岸田護が務めた。小松は先発へ復帰も、その年は5勝にとどまり、8月下旬には右肋骨の疲労骨折で戦線離脱。翌11年は、わずか1試合登板。しかも、一軍昇格直後の試合で、アウト1つしか取れずに5失点すると、即二軍降格。防御率135.00の屈辱的な数字だけが残った。12年には3勝を挙げたが、その年の9月3日を最後に、小松に白星は記録されていない。

 昨季も一軍登板は4試合のみ。いつのファームの試合だったか、はっきりとは覚えていないという。ただ、脳裏に浮かんだ“恐怖の思い”だけは、今も決して忘れない。

「いつ、俺は、このマウンドに立てなくなるんだろう」

待ち望んだ場所で


全盛期に比べて球速は10キロ以上も落ちたが「その中で、抑えられる工夫をしたい」という小松。だからこそ、捕手とのコミュニケーションは欠かさない(写真=松村真行)



 このままでは終われない。

 投げ続けてきた代償ともいうべき遊離軟骨を右ヒジに抱え、その痛みにも悩まされ続けてきたからこそ、小松は、決意したことがあった。

「あ、そうだ、見ますか?」

 話している途中で、小松はわざわざロッカーに戻り、自分のスマートフォンを持って来てくれた。画像を開いて「これです」。右ヒジを映したカラーのレントゲン写真だった。広い荒野で長く風にさらされた、ゴツゴツした岩のような骨が、何個も写っていた。14年10月、横浜市内の病院で遊離軟骨除去手術。6年前のCSで先発した右腕は、そのとき以来のポストシーズン進出を果たしたチームの激闘を、病院のベッドの上で見ていたのだ。

「手術して、ユニホームがまた着られる環境にあるのなら、もうやって砕けろ、やれるところまでやり切りたいと思ったんです。球団が手術させてくれて、チャンスをくれたんだから、意気に感じました」

 今季のキャンプはB組の宮古島スタート。温暖な南の島で投げ始めたとき「次の日に痛みが残らない。何の違和感もなかったんです」。それでも、スピードは130キロ中盤しか出ない。かつての自分とは、10キロ以上の“差”がある。

「投手は、スピードじゃないとか言うじゃないですか。でも、それだって、スピードのない投手にしか分からないことです。スピードガンじゃないところで、ストレートに対して、どう威力を出して、精度を上げることができるか。周りからも、よく言われるじゃないですか。『スピード、出てないですね』って。心が穏やかかといえば、ねえ……。でも、この方法で、抑えられる工夫をしたいんです。今の自分を信じているからこそ、いろいろなひらめきも、発想も生まれるじゃないですか」

 待ち望んだ一軍昇格は8月。シーズン前は優勝候補に挙げられ、下馬評が高かったチームは開幕から低迷。監督の森脇浩司は6月に入って休養するなど、優勝争いからは完全に脱落した夏の終わりのマウンドは、当然、来季への戦力見極めという意味合いも含まれていた。8月28日の初登板はビジターのQVCマリンで、4点ビハインドの6回からだった。しかし、その日からの成績を紐解いてみると、思いも寄らぬ“快挙”に気づかされた。

 その日の7回無死から、9月22日の西武戦で森友哉に右翼線への二塁打を許すまで、打者31人と対戦した小松は、4四球を除くと27人から29のアウトを、なんとノーヒットで奪っていた。9試合にまたがっているとはいえ“1試合分のノーヒットノーラン”。その中で、小松にとって、特筆すべき試合があった。

成長への肥やし



 9月18日は、雨で2度の中断を挟んだ、肌寒い仙台の夜だった。延長戦に突入し、2点をリード。しかし、ストッパーの佐藤達也はすでに出番を終えていた。10回裏、逃げ切りを図るために、福良淳一監督代行(現監督)が指名したのは、小松だった。1回を無安打無失点。セーブをマークしたのは、プロ9年目でこれが初めてのことだった。

「実際に初セーブ。うれしかったですよ。ふと思いましたね。まだまだ、自分もやること、いっぱいあるんだな……って」

 今季12試合のうち、ビハインドでの登板は10試合。かつてのエースは、敗戦処理ともいえるその状況でも、黙々と投げ続けた。その「背番号28」のレプリカユニフォームを振りかざし、応援してくれるファンが、マウンドからよく見えるのだという。オリックス一筋に投げ続けてきた右腕の存在は、ファンにとっても、何よりの誇りなのだ。

「マウンドに行くとき、うわーっていうのが分かるんです。耳が向きますし、うれしいですよね。『お、小松も元気にやってんだな』って、そういう感じで見てくれているんですからね。今年は、それをすごく感じたんです。グッときました。ヤバいときもありました。応援してくれる人がいるんだなと思うと……」

 4歳になった愛娘は、マウンド上のパパの姿が、分かるようになってきたという。初セーブのときも、テレビで応援していたといい、姉が大騒ぎするため、1歳の次女もつられて、パパに声援を送るのだという。

 そう、己の背中を、熱いまなざしで、見つめ続けてくれている人たちが、今だってたくさんいる。

 だから、あきらめない。

「昔ばかりを見ても、何も見つからないんですよ。単純に言うと、プライドは、もう捨てました。ホントに『捨てた』という感覚です。新たな自分でやっていく。それが新たな発見です。そうやって、いろんな立場の気持ちを感じて、そこにいる人の気持ちも、ホントに分かるようになりました。視野が広くなった気がしますね」



 10月13日、秋季練習初日。

 全員が集合してのミーティングが終わると、小松はたった1人で外野の芝生に沿い、30分間のジョギングで汗を流した。引き続き、バックスクリーン右の観客席の階段を使って、股関節を入念に伸ばしながら外野席上まで上っていくトレーニングを、何度も繰り返した。

 頂点から見える、その景色が素晴らしいことも知っている。

 どん底で味わった辛酸が、成長への肥やしになることも分かった。

「いいのか悪いのか、分からないですけど、今、すごく柔軟な感じがありますよ。それでも、マウンドでは『俺は小松だ』と自分らしく立ちたいですし、何よりも、後悔なくマウンドに立ち続けたいんです」

 迎える10年目のシーズン。

 小松聖は、34歳の「進化」を証明するつもりだ。

PROFILE
こまつ・さとし●1981年10月29日生まれ。福島県出身。180cm80kg。右投右打。勿来工高から国士舘大を経て、JR九州に入社。2005年の都市対抗で優秀選手賞を獲得し、4強進出の立役者となった。07年大学・社会人ドラフト希望枠でオリックス入団。08年に初先発初勝利をマークすると、15勝を挙げて新人王に輝く。翌09年、日本代表に選ばれWBCに出場した。10年は一時、リリーフへ転向したが、先発に再転向。11年は故障で開幕を二軍で迎え、12年は先発と救援で併用されると、13年からは中継ぎに。今季、9月18日の楽天戦でプロ初セーブをマークした。
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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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