プロ入り5年目の2018年はキャリアで最も少ない40試合登板に終わった。沖縄・北谷での秋季キャンプでは若手に交じり、徹底した投げ込みを敢行。今季不調の原因であったフォーム固めに励み、ポジティブな手応えを得た。来季は巻き返しを誓うシーズンとなるが、思えば又吉克樹の野球人生は劣勢を自ら認め、これを覆す努力の連続だった。 文=安藤岳雄(スポーツジャーナリスト)、写真=BBM 「マメ」のハッタリ
今年7月に発表された日本人の平均寿命は87.26歳。以前よりも延びているとはいえ、限られた人生であることに変わりはない。そして、その時間の中で描く成長曲線は人それぞれだ。
高校生で甲子園の大観衆を沸かせて注目を集める選手もいれば、野球ファンにしか気づかれないようなドラフト下位指名から名球会入りを果たした選手もいる。ある者は「早熟」と表現され、ある者は「晩成」と言われる。十人十色。だから、人生は面白い。誰からも評価されてない日々が続いても、いつの日か誰もが称賛する選手になることはできる。そんな歩み方をしてきたのが又吉克樹だった。
2014年に
中日に入団すると、1年目からブルペンに欠かせない右腕として脚光を浴びる。主に中継ぎでプロ入りから5年連続で40試合以上に登板。イニングまたぎも厭わず、先発としても完封勝利をマークするタフネスを最大のセールスポイントとする又吉は、2017年には
稲葉篤紀監督率いる侍ジャパンにも選出。ここでもブルペンに待機し、アジア王者(新設の『アジアプロ野球チャンピオンシップ2017』)に輝くチームの一員にもなった。
ただ、“光”の部分だけを見ていては、又吉の歩みは理解できない。無名の公立高から地方大学、四国アイランドリーグ(IL)。ひっそりと“裏街道”を進んでいた“影”にこそ、又吉の・・・
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