アマチュア時代、輝かしい実績はなかったが、140キロ台後半の動く真っすぐを武器に昨年、阪神に入団した金田和之。二軍で抑えなどを任され、期待をかけられながら迎えた2014年。見事に開幕一軍の座を手にした。そして、チーム4番目の登板数となる40試合のマウンドに上がった。「飛躍」という言葉が当てはまるが、金田本人は3度の登録抹消を味わい、悔しいシーズンと振り返る。だが一方で、伸びシロがまだまだあることをも実感できた。 取材・構成=椎屋博幸 写真=石井愛子(インタビュー)、BBM 基礎が分かった1年
──開幕一軍を勝ち取り充実した1年だったのではないですか?
金田 目標が一軍に入ることで、最後までそこにいることでした。開幕一軍には入れたんですけど、定着できない1年間でした。最初は開幕に入るのは自分でいいのかな、という思いもありました。でも3回も二軍に落とされたので、悔しい思いしか残っていないです。まだまだ足りない部分があるんだなと実感しました。
──その足りないものは何だったのでしょう。
金田 いろいろな基礎ができていないと分かりました。投球フォームの部分でも基礎ができていなかったですね。下半身が使えていなくて、上半身が前(打者方向)に突っ込んでしまったりしていました。
──それに気が付いた試合などはあるんですか。
金田 それは、打たれたときなどですね。自分で何が原因で打たれたのか、投手コーチと話し合いながら見つかることがありました。そのたびに抹消になって、ファームでその欠点を直して、また一軍に上がるということが多かったです。
──3回の抹消はすべて同じ理由ということではないんですよね。
金田 2度目は血マメができたこともありましたが、内容的にはほぼ同じ理由でした。ムダな動きも多かったので。まだまだ一軍レベルの投手じゃないと思っていましたので、先輩たちを見ながら何が足りないか考え、しっかりついていこうと思っていただけで、必死でした。
──その中で、初先発した試合(8月21日
中日戦=京セラドーム)で勝利投手にもなりました。
金田 うれしいという感じはまったくなく、最低限のことはやったという思いの方が大きかったです。何とか5回までは投げないと、と思っていました。
──勝ったことで見えてきたモノもありそうですが。
金田 中継ぎと違い、長いイニングを投げなければいけないので、リラックスして投げようと。変なところに力を入れ過ぎたらいけないなあ、と思いながら投げました。その中で・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン