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巨人歴代「四番打者」列伝

 

巨人阿部慎之助は今年から一塁手に転向するので話題を呼んでいたが、開幕から7試合目には四番・捕手に復帰。古巣に戻った阿部は元気に打ちまくっていたが、開幕14試合目の4月11日のヤクルト戦には休養のため欠場。その日代わって四番に抜てきされたのは、坂本勇人である。巨人82代目の四番打者だが、ここに至るまでの四番打者の歴史を振り返ってみたい。

巨人82代目の四番を任された坂本勇人



四番での最多出場は川上哲治の1658試合


 現在のプロ野球が誕生した36年に巨人は、アメリカに武者修行に出かけ、4月29日に始まった第1回日本職業野球リーグ戦には欠場。7月1日からの連盟結成記念第1回全日本野球選手権試合東京大会が巨人のデビュー戦となった。

 記念すべき第1戦は7月1日に東京・戸塚球場で挙行された名古屋軍戦。巨人の打線は三番が中島治康で四番は永沢富士雄。この試合で永沢が3打数0安打2四球に終わると、次の7月3日の大東京戦には四番は伊藤健太郎で2試合続くが、4試合目の7月10日の阪急戦から、それまでの3試合で三番・右翼手だった中島治康が四番に起用される。

 ここまで三番の3試合に15打数4安打(.267)で3打点の中島は初の四番となった7月10日の阪急戦では3打数1安打。さらに次の7月15日のタイガース戦(山本球場)では2ランを放ち、そのまま巨人の四番にほぼ定着。中島は戦後の48年まで巨人の四番に410試合に起用される。

 次に登場する四番打者は川上哲治である。38年に投手として入団する川上は、1年目の春季に投手として2勝2敗を記録するが、秋季には打撃を見込まれ、投手では1試合で一塁手として38試合。打率.263で3本塁打を放つ。

 翌39年になると、投手でも18試合に6勝4敗だが、打っては.338で首位打者になる。しかし、四番には中島がいるので五番を打っていたが、5月14日の阪急戦で初めて四番に起用される。39年の開幕からチーム24試合目だが、前日まで80打数34安打で.425とあれば当然である。

 しかし、完全に定着するわけではなく、39年には四番は5試合しか打ってない。40年も開幕から2試合は五番であったが、3試合目の3月18日の南海戦から三番が中島で四番が川上となる。

 川上時代は彼が兵役に服する42年途中まで続く。戦後の46年は初め故郷の熊本に引っ込んだままであったが、6月28日になって巨人に復帰。2試合は五番を打っていたが、3試合目の6月30日には四番打者となる。それから現役最後の58年まで巨人の四番に定着する。

 58年も初めは四番を打っていたが、5月29日の中日戦に4の0に終わり、打率が.235までダウンすると次の31日の広島戦には六番で登場。四番・川上の時代は終わった。川上は四番打者として1658試合に登場。これは巨人史上の四番の最多試合である。



松井秀喜以降は不動の四番は不在


 しばらく四番は宮本、与那嶺の日系二世選手が支えてきたが、8月6日の広島戦ダブルヘッダー第1試合に、新人の長嶋茂雄が抜てきされる・・・

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