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記録の手帳 / 千葉功

熟練の投球術で存在感を示す広島・黒田博樹

 

広島黒田博樹が4月2日の巨人戦(マツダ広島)で9回を4安打無失点に抑え、完封で今シーズン2勝目を飾った。1975年2月10日生まれの黒田はこの日、41歳1カ月。40歳代の投手の完封は2010年9月の山本昌(中日)以来となる6年ぶりのことであり、史上8人目だ。メジャー帰りの投手は帰国してからもそのまま消えてしまうケースも多いだけに、帰国1年目の昨年は11勝し、今シーズンも4戦2勝の黒田にはまだまだ活躍できそうな期待感がある。

地元ファンが見守る4月2日の巨人戦で3226日ぶりの完封勝利をマークした黒田。広島投手陣をその背中でけん引している


プロ野球史上8人目の40歳代での完封勝利


 4月2日の黒田博樹は今シーズン2度目の登板。初登板の3月26日のDeNA戦(マツダ広島)は5回に1点を失ったが、7回で降板するまでそれが唯一の失点で勝利投手になった。

 2度目のこの日は1回に坂本勇人に二塁打されたが、2回から7回まで出塁させたのは1四球のみのほぼ完璧な投球。8回に無死一、二塁のピンチを招いたが、「どうする?」と尋ねるコーチに対し「行きます」と答えた。中継ぎ陣の負担を考えたためだ。

 このピンチを切り抜けた黒田は9回も二死後に安打されたが、ギャレットを中飛に仕留めて日本復帰後では初の完封勝利であり、27アウトを取った初完投でもある。昨年も6月30日の巨人戦(東京ドーム)で、1点リードを背に8回まで無失点できたが、9回裏に一死一、三塁から四番の阿部慎之助に右前打され同点。さらに亀井善行に左翼へ犠飛を打たれてサヨナラ負けしている。結局、これが昨年唯一の完投であった。

 黒田にとって日本では2007年6月3日以来の完封勝ちだが、75年2月10日生まれの黒田はこの日41歳1カ月。40歳代で巨人を完封した投手は延べ4人目の貴重な記録であった。ほかの2人は以下のとおり。

若林忠志(阪神)48年7月25日=40歳4カ月
▼若林忠志(阪神)48年11月14日=40歳8カ月
▼山本昌(中日)10年9月4日=45歳9カ月

 巨人戦に限らず40歳を過ぎて完封勝利を挙げている投手は黒田を含めて8人。そのうち若林はひとりで9回も記録している。


 ハワイ出身の若林は1928年に来日し、法大の投手として東京六大学で活躍。社会人の川崎コロムビアを経て36年のタイガース創立と同時に入団。その年28歳であった。

 44年までの戦前のプロ野球で171勝を挙げ、44年には22勝、防御率1.56、勝率.846で投手の三冠王に輝く。戦後は疎開先の石巻で進駐軍との野球でプレーしていたが、46年9月に上京して22日に連盟から登録されると、同日の巨人戦(後楽園)に6回途中から登板。3回2/3を2失点で最後まで投げた。この年は12試合に投げたが、うち7試合に完投して防御率3.04で4勝4敗。翌22年から投手兼任で監督に復帰し26勝を挙げる。

 48年5月31日の急映戦で9回を2安打無失点で完封勝ちするが、同日現在40歳2カ月。日本のプロ野球史上初の40歳投手による完封勝利である。48年には4度、49年にも4度の完封勝ちをするが、2リーグ分立による50年に新球団毎日に移籍。同年閉幕近い11月12日の近鉄戦で40代で自己9度目の完封勝利を達成した。

 その後、40歳を過ぎた完封投手は長いこと出現しなかった。90年になってこの年限りで現役を退いたロッテの村田兆冶が8月24日の西武戦、さらにシーズン終盤の10月13日の西武戦が雨で5回コールドになったので完封勝ちとなっている。

 その後は40歳を過ぎた広島の大野豊が、95年から97年にかけて毎年1度ずつ完封勝ちして話題を呼んだ。中日の山本昌も06年に2度、07、10年に1度ずつ達成。06年9月16日の阪神戦では41歳の誕生日の1カ月後にノーヒットノーランの大記録を添えて達成。オリックス佐藤義則も95年に40代でのノーヒットノーランを記録している。

能力の高さを物語るイニング別の被打率


昨年の11勝を超える勝ち星も十分狙える黒田。41歳になった大ベテランから残りシーズンも目が離せない



 ここからは黒田の球威はどう変化しているかを、イニング別の被打率から調べてみたい・・・

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