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記録の手帳 / 千葉功

あの投手の「デビュー戦」&酷使された往年のエースたちの戦い

 

オリックス西勇輝は4月9日の日本ハム戦[京セラドーム]で今シーズンの初勝利を完封で飾った。しかし、この西が7年前の楽天戦でプロデビューしたときは打者3人を無難に仕留めると、1イニングで交代を命じられていた。多くの監督は新人投手のデビュー戦には、自信を失わせまいと特に神経を使うものである。それでは、あの投手たちのデビューの日はどうだったのだろうか。当時の投手起用事情と併せてスポットを当ててみたい。(記録は4月11日現在)

ルーキー時代の菅野智之。初登板から好投したが、首脳陣も1年目は無理に完投させずに気を使いながらの起用だった


防御率は135.00。悪夢のような1年目


 念願のプロデビューの日に完膚なきまでに打ち込まれていたのは広島大野豊である。1977年9月4日の阪神戦に初登板した新人投手だった大野は、先頭バッターの島野育夫に中前打を打たれた後、2人目の掛布雅之を遊邪飛に仕留めたが、続く田淵幸一川藤幸三に連打されていきなり1点を失う。さらに佐野仙好にも安打されて一死満塁。ここで片岡新之介に痛恨の満塁本塁打を浴びて一挙4失点を喫した。

 だが広島ベンチはこの新人投手をここで降板させずに、2四球を続けたところでようやく動いた。終わってみれば投球回1/3で、8人のバッターと対戦して満塁本塁打1本を含む5安打2四球で5失点。その後、再び一軍登板のチャンスはなくシーズンは終わったので、大野の1年目の防御率は135.00である。

 このまま消えたら大野は珍記録を残しただけの投手で終わってしまうところであったが、2年目の78年は見事にその才能を開花させた。41試合に登板して3勝1敗、防御率3.77。シーズン最後の登板となった10月9日のヤクルト戦では2安打3四球に抑えて見事に完封勝利。あの屈辱のデビューの日から42試合目のことである。

 その後の大野の輝かしい活躍については語るまでもない。現役生活は98年まで22年間続いたが、707試合に登板して2231イニングを投げ、148勝100敗で138セーブ。707試合登板は球団最多記録である。参考までに2位は長谷川良平の621試合、3位は佐々岡真司の570試合。148勝は北別府学の213勝、長谷川良平の197勝に続く3位。奪三振は1938の川口和久(広島時代のみ)、1806の佐々岡真司、1757の北別府に次ぐ第4位である。

(注)※は先発


ベンチも気を使う、新人投手たちの起用法


 しかし、大野のようなサクセスストーリーはプロ野球の長い歴史の中では非常に少ない。デビュー戦の失敗にとらわれて、そのまま消えてしまう例も多い。それだけに起用するほうも最初の試合には非常に気を使うのである。まずは大物ルーキーを完投させる例は少ない。いまや巨人のエースに成長した菅野智之が・・・

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