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阪神80年!記念の年や!オレはその40年近く身を置いているんよ

 

小学入学前から阪神の選手たちと……


 年が改まり、プロ野球はもうすぐ春季キャンプに入る。この時期の選手の気持ち……。よく分かる。今年は絶対にやってやる!といった荒ぶる心が手に取るように分かる。オレも現役時代、高揚する気持ちを抑えるのに苦労した思い出がある。

 2015年、阪神タイガースにとって節目のシーズンになる。球団創設80年……。さすが伝統のチームだ。そこには長い歴史が続く。オレもその半分、40年近く、阪神に身を置いてきた。だから今回、キャンプに入る前に、岡田彰布と阪神タイガースのことを書いていこうと思っている。

 オレは幼いときから阪神とともに育ってきた。というのも親父(勇郎氏)が阪神の選手の面倒を見てきたから、常に阪神タイガースは身近に感じてきた。若い選手がいつも家に来ていた。それを親父が大阪ミナミに連れて行き、キャバレーで大騒ぎする。オレも一緒についていく。ステージに上がり、フルバンドをバックに歌う。島倉千代子や水前寺清子の曲や。小学校に入る前の子どもやで。そんなころからキャバレー通いして、歌の褒美にビールをもらう。それを選手が大喜びで飲んでいた。おおらかな時代やったわ。

 1962年、1964年の2度のリーグ優勝のときに行われた御堂筋パレード。オレは選手と一緒に車に乗り、沿道のファンに手を振っていたわ。当時の写真にはっきりと写っている。貴重な経験をさせてもらったもので、特に村山実さん、藤本勝巳さんには可愛がってもらったものよ。

 だから阪神色に染まったオレは常に帽子はタイガースのモノ。周りは巨人の帽子をかぶった同級生ばかりで、よくケンカしたものよ。ユニフォームの背番号も村山さんの「11」か藤本さんの「5」に決まっていた。同級生は長嶋茂雄さんの「3」に王貞治さんの「1」ばかり。オレの阪神愛は徹底していたもんよ。

 当然、大きくなったら阪神に入団するものと自分で決めていた・・・

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岡田彰布のそらそうよ

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選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

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