40歳を超えても古巣・西武が必要としてくれた松井稼。まだまだ若々しいし来季も味のあるプレーを見せてほしいもんよ/写真=高塩隆
ベテランの“休養”そんな言葉は昔はなかった
今年も残りわずか。12月もあと2週間となった。この1年を振り返る日々……。そして年が明け2018年に思いをはせる。やっぱり12月はいろんなことを考える月……なんやね。
今から38年も前の1979年12月。オレは
阪神にドラフト1位指名され、残り少ない学生生活を送っていた。そこにビックリする依頼が飛び込んできた。デイリースポーツ新聞社からやった。正月用の紙面の企画で、写真撮影を頼まれた。場所は大阪城公園。そこにツーショットの相手が現れた。
皆さん、誰やと思いますか?
デビューして間もない松田聖子さんやったんよ。同じルーキーということでのツーショットよ。のちにアイドル歌手として人気絶頂となる松田聖子さんやで。お互い、そのころは初々しいというか……。ホンマ、懐かしい思い出が12月には残っている。
そこから15年後の12月、1994年のオフやった。オレはここでユニフォームを脱ぐことを決意する。阪神から
オリックスに移って2年目。仰木(
仰木彬監督)さんの温かい誘いもあり、現役を続けていたけど、さすがに体がついていかんようになった。足の痛み、これは古傷で、走ることも守ることもつらくなっていた。さらに右ヒジが悲鳴を上げていた。長い間、使ってきた勤続疲労やろうね。ボールを投げるのも痛みが走った。ここで悟ったわ。もう限界……、潮時やな、とね。
現役引退、38歳でユニフォームを脱いだ。これも12月の悲しい思い出……。でもね、当時は38歳で引退といえば、けっこう長くプレーした部類やと思うよ。そのころはまだ選手寿命が短くて・・・
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