星野さん、まさかやった。2年間の思い出は……
“まさか”だった。まさか星野(
星野仙一)さんが亡くなるなんて……。言葉が見つからない。すぐに2003年、もう15年も前の胴上げの光景が頭に浮かんだけど、やっぱり言葉が見つからなかった。
1985年以来の優勝に導いてくれた監督。2002年は監督と二軍監督としての関係で、03年は一軍コーチとして呼ばれた。三塁ベースコーチを任され「すべてを任すから、思うようにやれ」と伝えられた。そこからスタートしたVロード。ところが日本シリーズに負けた後、星野さんは辞任する。体調がすぐれなかったことは知っていたけど、そのとき「あとはお前がやれ!」と監督を託された……。そんなことがあったから余計に、星野さんの死が信じられない。あと少し時間が経ってから、心を落ち着けて、あの濃密な2年間を振り返る。だから、それまで待ってください……。
悲しみを胸にしまい、今週は新たな世界に飛び出した投手のことを書く。今シーズンから海を渡る男、
平野佳寿のことである。2010年からの3年間、オレは
オリックスの監督を務めた。そのときに出会ったのが平野だった。初めて彼のピッチングを見たとき・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン