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「とにかく石頭だった」という山内一弘監督

「とにかく石頭だった」という山内一弘監督

 

“ジャマウチさん”でもコーチとしては有能。ただ、監督はその任にあらず。阪神広島1年目の「兼任」がこの人の本領。
文=大内隆雄、写真=BBM

1歳下の吉田義男[左]とは仲が良く、吉田のフランスでの野球指導を手助けしたりした。写真は65年ごろ


 元毎日の四番打者で、のちロッテの編成のトップとなった三宅宅三が、「とにかく石頭なんだから困った」というセリフを枕に、こんな話をしてくれたことがあった。

「落合(落合博満、現中日GM)が入った昭和54年(79年)、アイツは、二軍でガンガン打ちまくった。4割以上だよ。それで、私は山内(山内一弘監督)に『とにかく早く使ってくれ。下じゃもったいない』と上申したんだ」

 いや、正確に言えば、命令しただろう。山内が毎日に入団した52年、四番を打っていたのが三宅。三番・別当薫と同数のチーム最多の18本塁打。打点69もチームトップ。この年20歳の山内には雲の上の存在だった。だから、三宅は、山内が命令に従うものと思ったのだ。

「それが、守りが下手ではダメです。守るところがない選手は使えません、の一点張りで、言うことを聞かない・・・

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