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巨人V9捕手であり、西武黄金期を築いた男・森祇晶

 

川上監督の「ひどい仕打ち」にも耐え、そして勝ち残り、見事V9捕手に。二軍時代の思い出話が胸にしみる
文=大内隆雄、写真=BBM

86年10月9日、就任1年目で優勝、ナインに胴上げされる森監督。これ以後、リーグ優勝8回、日本一6回の偉業を達成する



「オヤッさん(川上哲治巨人元監督)には、ホンマに参ったよ。憎しみに近い感情さえ抱いたこともあった」

 森昌彦(現祇晶)のこのボヤキは、彼を文字の上や映像の上だけで知る人は「こっちこそホンマかいね、だよ」と眉にツバをつけるかもしれない。

 しかし、これはだれかのセリフではないが「ホンマのホンマやで」だった。森は川上に寵愛された捕手というのは、たしかなのだが、それは森が川上の期待にこたえ続けたからであって、森が少しでも怠け心を起こしたら、川上は森をバッサリと切り捨てたことだろう。

 とにかく、これは、ひと言で言えば、ひどい仕打ちだった。森を巨人の正捕手に据えたのは、川上ではなく、前任者の水原茂だった。あまり知られていないことだが、森は滅多にパスボールをしない捕手だった。こういう数字がある。

 森は捕手で出場した1833試合で捕逸は42。これが野村克也(南海ほか)だと2921試合で207。単純計算で森は1試合当たり0.02個。野村は0.07個。ほぼ同世代の醍醐猛夫(ロッテ)は0.04個。木俣達彦(中日)は、0.03個。水原が59年に22歳の若さの森を正捕手に抜てきしたのはよ〜く理解できるのである。「ひどい仕打ち」に戻ると、61年に監督になった川上は、徹底したリアリストであり、もっと言えばマキアベリストであった。まず、森を信用しない・・・

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