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史上初の両リーグ首位打者・江藤慎一

 

史上初の両リーグ首位打者は、後輩の和田一浩と同じ道を歩んだ大先輩。できることならもう1年監督をさせたかった…
文=大内隆雄、写真=BBM

ルーキーの59年の江藤。このころは体が細かったが、チームで唯一の全試合出場



 中日・和田一浩外野手は、史上最年長での2000本安打を達成したが、社会人から捕手でプロ入りして、移籍した球団で2000本安打を達成と、和田と同じようなコースを歩んだ選手を思い出した。しかもその選手は、中日の大先輩。最後のあたりで出身地の近くの球団を選んだところもよく似ている。その人の名は江藤慎一

 江藤は59年に日鉄二瀬から中日入団。“ミスター・ドラゴンズ”的存在の大スターになったのだが、70年に、時の水原茂監督との確執から退団。しかし、その年の途中ロッテでプロ野球復帰。71年に3度目の首位打者に輝き、史上初の両リーグでの首位打者達成となった。その後、大洋に移り、さらに、75年に太平洋にプレーイングマネジャーとして迎えられ、この年の9月6日に2000本安打を達成した。江藤はプロ野球9人目の快挙。当時は完全試合の達成以上の貴重な記録だった(75年時点で完全試合達成者は13人)。

入団から5年目までは捕手での出番も多く、62年は捕手で104試合。和田も5年目までは捕手をやったが、01年の25試合が最多



 筆者は、この太平洋時代に割合多く江藤の話を聞く機会があった。どんな若い記者にもていねいに答えてくれるナイスガイ。「あれは、記者を味方につけようとする慎ちゃんの手だよ」と言うベテラン記者もいたが、そんな計算はみじんも感じられなかった。「プロなんだから、やるときはやる。遊ぶときは遊ぶでいいんです」と、島原キャンプの練習を終え、国光屋旅館に戻ってくると、「さあ、飲みに行くぞ!」と真っ先に飛び出していくのが江藤監督だった。

 で、“山賊野球”とかなんとか、面白おかしく取り上げられたのだが・・・

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