終わってみれば「こいつが一番すごかった」。選手としても監督としても、もっともっと評価されてよい大野球人 文=大内隆雄、写真=BBM 87年の対巨人日本シリーズ第2戦6回、西本聖から左中間に大ホーマー。清原は「アキさんこそ本当のアーチスト」と言った
真のホームラン・アーチスト
上の写真は連載「おんりい・いえすたでい」に使いたくなるような“逸品”である。ホームランを打たれたバッテリーが、これほど打ちのめされたポーズになってしまった写真というのも珍しい。
これは1987年の
西武-巨人日本シリーズ第2戦(西武)での1枚。6回裏、西武の先頭打者・
秋山幸二が、巨人の先発・西本聖(手前)から、左中間に大ホーマーした場面だ。西本同様、「もう野球選手をやめたい」という感じでガックリしているのが捕手の
山倉和博。
初球を打たれたからか、貴重な追加点を与えてしまったためか(この一打で西武が2対0とリード)、はたまた、巨人・
王貞治監督から「秋山だけは打たせるな」と言われていたのに打たれてしまったからか……(秋山はこの年、自己最多の43本塁打をマークして本塁打王。これで3年連続40発以上だ)。
秋山の全盛期の大アーチの軌跡を覚えている人は、もう少ないかもしれないが、それは、まさにザ・アーチストの、美的とさえ言える軌跡だった。西武の初代アーチストと言えば、84年限りで引退した
田淵幸一だが、秋山は翌85年に初めて規定打席に達し、40本塁打をマークした。二代目の誕生だった。
そういう打者に打たれたのでは、巨人のバッテリーが、こんな打ちのめされたポーズになってしまうのも、また致し方ないことだった。
そんな秋山でも、西武では四番ではなかった。86年に入団した
清原和博が1年目から四番を打ち続けたからである。甲子園の大スター。1年目から31ホーマーという大活躍。西武の堤義明オーナーの・・・
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