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神様でも大選手でもなく「禅の人」が最初のイメージだった。川上には大正力がすべてだったが、それは正しかった

 

文=大内隆雄、写真=BBM

58年、岐阜・正眼寺で座禅を組む川上。とても初心者(?)とは思えぬ存在感だ



 川上哲治の選手時代を知らない筆者のような世代には、川上はまず「禅の人」として記憶された。西鉄-巨人の58年の日本シリーズあたりから、プロ野球の記憶が鮮明になってくるのだが、川上はこの年に現役引退。世の中は、巨人のルーキー・長嶋茂雄で大フィーバー(プロ野球を知らない人たちも巻き込む大変な騒ぎだった)。川上はこの大フィーバーに隠れるようにしてヒッソリと引退した。

 しかし、川上は、巨人を去るか、指導者として残るか、悩んでいた。これに“解決”を与えてくれたのが、いわゆる「大正力」、読売新聞の正力松太郎社主だった。正力は「禅の世界を知れ。そうすれば、おのずと道は拓ける」と岐阜・正眼寺への参禅をすすめた。川上は、ここで「やはりオレは巨人に残る」と決意、ヘッドコーチの道を選んだ。

 筆者の家にはまだテレビがなかったから、川上のことは、ラジオ、新聞、野球雑誌で情報を得た。この58年、「週刊ベースボール」が創刊されたので、小学校3年生は、毎号のように買い求めた(学校に持って行くと教師が「お前、こんなもの読んで分かるのか」とあきれたような顔をした。バカな教師め!)。そこに載っていた川上の坐禅(座禅は誤りです)の写真にひどく感心してしまった。

「川上は、ユニフォームより、こっちの姿の方が似合うじゃないか!」と。両隣りのお坊さんよりサマになっているのである。やっぱりこの人は求道者なのだ(もちろん当時こんな言葉は知らないが、思い込んだら命がけの、トコトン自分を追い詰める人、そういう感じは子どもでもこの写真からよく分かった)。

 で、ここから数十年後。川上が用事で小社を訪れたときに「川上さん、禅について少し教えてください」とアホなお願いをしたことがあった。川上は苦笑しながら・・・

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