週刊ベースボールONLINE

Webオリジナルコラム

スターの宿命!? 首位打者と規定打率最下位を記録した選手たち

 

12年には打率.340で首位打者を獲得した阿部慎之助だが、その2年後は打率.248と規定打席到達者の中で最下位を記録した



減少傾向が見られるセ・リーグの規定打席到達者


 今年、セ・リーグの規定打席到達者は24人だった。規定打席到達者が25人以下だったのは、58年=パ=21人、59年=パ=25人、60年=セ=24人、61年=パ=25人、63年=セ=25人、65年=セ=25人、92年=セ=25人、11年=セ=24人、12年=セ=24人、13年=セ=21人と昨年まで10例ある。セ・リーグはここ数年少ない傾向にある。過去10年の両リーグの到達者人数は以下の通り。

06年:セ29人、パ29人
07年:セ34人、パ33人
08年:セ33人、パ29人
09年:セ29人、パ32人
10年:セ31人、パ31人
11年:セ24人、パ27人
12年:セ24人、パ30人
13年:セ21人、パ33人
14年:セ27人、パ31人
15年:セ24人、パ30人

 パ・リーグは指名打者制のため平均的にセ・リーグよりは若干多くなる傾向にあるが、セ・リーグは統一球となった11年からはほとんどが25人以下だ。次ぎに今年のセ・リーグの各チームの打率と人数を見てみる。

ヤク:.257 5人
中日:.253 4人
DeNA:.249 4人
阪神:.247 5人
広島:.246 4人
巨人:.243 2人

 ほとんどのチームは4〜5人規定打席に到達し、レギュラーとして出場していたが、チーム打率最下位の巨人は坂本勇人.269(16位)と長野久義.251(22位)の2人しか到達しなかった。戦力的に優勝候補に上がっていた巨人だが、レギュラー陣が故障や不調で固定できなかったことが、今年のセ・リーグの大混戦を生んだと言ってもいいだろう。

 巨人の規定打席到達者2人というのは03年以来2度目のこと。それでもこの時は高橋由伸.323(4位)と二岡智宏.300(12位)とともに3割を打っていた。また打率15位以内に1人も入れなかったが、これは球団史上初の出来事だった。

 パ・リーグは今年も30人の到達者だったが、30位は西武炭谷銀仁朗。炭谷は13年も33人中最下位だった。打率最下位が2度以上の選手は史上17人目。最も多いのは今年引退した中日の谷繁元信で5度。横浜時代の94年(.228=31位)、中日時代の02年(.215=30位)、05年(.234=34位)、06年(.234=29位)、07年(.236=34位)。続くのが3度で山田潔小池兼司。山田は38年秋(イーグルス=.107=46位)、40年(黒鷲=.156=55位)、53年(大映=.192=45位)。南海の小池は62年(.230=30位)、67年(.194=28位)、68年(.193=28位)。

 2度になると佐々木誠がいる。佐々木は首位打者を獲得しているが2度最下位も経験している。ダイエー時代の89年に.235で33位の最下位だったが、92年には.322で首位打者を獲得。西武に移籍した3年目の96年は.243で30人中30位と再び最下位を味わった。その他、首位打者&最下位経験者は以下の3人。

野村克也(南海):首位打者=65年 最下位=77年
王貞治(巨人):首位打者=68〜70、73〜74年 最下位=80年
阿部慎之助(巨人):首位打者=12年 最下位=14年

 野村は規定打席到達の最終年、王は現役最後の年に最下位になっている。

文=永山智浩 写真=BBM
Webオリジナル

Webオリジナル

プロ・アマ問わず本誌未掲載の選手や球団、事象を掘り下げる読み物。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング