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優しさと勝負強さの中継ぎエース 西武・増田達至の原風景

福井工大を卒業後、社会人のNTT西日本を経て2013年ドラフト1位で西武に入団。今季は72試合に登板。セットアッパーや抑えとしてチームのために腕を振り続けた

 

急成長を遂げた大学3年秋


 現代の日本プロ野球では、先発もさることながら、「後ろがしっかりしていないと勝てない」と言われるほど、救援陣の存在は、どの球団にとっても大きい。

 そんな中、今季台頭したのがプロ3年目、埼玉西武増田達至だ。パ・リーグ最多の72試合に登板し、2勝4敗、3セーブ、42ホールドポイントを挙げ、初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手賞に輝いた。オールスターにも初選出され、ブレークの年と言っても過言ではないだろう。

 この増田の活躍を喜んでいるのが、福井工業大学時代の恩師である下野博樹監督だ。

「1年目、春のキャンプで会った時『すべてが不安で仕方ありません』と言っていたんです。新人選手はみんなそうなんでしょうけど、当時は力の出し方がわからなくて、いろいろととまどいもある中で、オーバーワークになったんでしょう。春先にケガをしてしまった。でも、3年目になって相手の力量もわかり、エンジンのかけ方も掴んできたんでしょうね。“プロの水”に慣れてきて、今年はマウンド上での立ち居振る舞いも自信に溢れているように見えました」

 下野監督が福井工大の監督に就任したのは、増田が2年の冬の時だった。当時、1学年上には絶対的エースがおり、増田は2番手。特に注目していた存在でもなかったという。

 そんな増田を大きく成長させた試合があった。3年秋の明治神宮大会の出場権をかけて臨んだ「東海・北陸・愛知大学野球王座決定戦」だ。この大会で福井工大は初戦で愛知学院大に0-14という大敗を喫している。増田も相手打線に滅多打ちを食らったという。

 すると、その翌日から増田の練習への取り組み方がガラリと変わった。

「その試合がよっぽど悔しかったんでしょうね。一念発起して、練習に取り組む姿がありました。見ていて、彼の意識が変わったことはすぐにわかりました。次は自分がエースという自覚もあったのだと思います」

 変化したのは意識だけではなかった。それから4カ月後の2月末、下野監督は増田のボールに目を丸くした。

「キャッチャーの後ろから見ていたのですが、ベース付近でギュンッと伸びるいい球を投げるんです。よく『ボールがうなっている』と言いますが、まさにそんな感じでしたね」

 それまで140キロ未満だった球速は、150キロにも迫るほどにアップ。悔しさと、そして努力が、彼の潜在能力を引き出したのだ。

寡黙ながらも背中で捕手を育てた大学時代


 また、増田は人間的にも後輩思いの優しさがあったという。4年の春、こんなことがあった。チームは9連勝と波に乗っていたが、最後の2試合を連敗し、準優勝に終わっている。この時の連敗はいずれも増田が先発をし、0-2と完封負けをした。しかし、最終戦での敗戦は一学年下のキャッチャーのミスが招いたものだったという。

 下野監督の説明によれば、こうだ。

「ランナー二塁の場面、パスボールでまずは1失点。さらにランナー一塁の場面で、一塁ランナーが走ってきたんです。その二塁への牽制が大きくそれて、三塁に進めてしまった。そこでスクイズをされたんです。結局、ノーヒットで2点目を献上してしまいました」

 そこで、下野監督はキャッチャーを交代させることを増田に伝えたという。

「4回か5回だったかな、増田に『(キャッチャー)代えるけど、大丈夫か?』と聞いたんです。そしたら、その時は『はい』と了解したのですが、代打を告げようとしたら増田が『やっぱり代えないでください』と言ってきたんです。普段はどちらかというと寡黙で、あまり強く主張してこないタイプだったので、ちょっとビックリしましたね」

「ランナーを出したピッチャーの自分が悪い。後のイニングは絶対に抑えますから」

 下野監督にはそんな強い思いを感じたという。結果、増田は中盤以降、無失点に抑えてみせた。試合には負けはしたものの、チームにはいい財産を残してくれたと、下野監督は見ている。

「実は増田たちの次の代は、エースが不在だったんです。でも、3年の時からマスクを被っていたそのキャッチャーがピッチャーを引っ張ってくれました。『僕が何とかしますから、アイツを使ってください』と言ってくることもあったんです。おそらく増田から学んだものがあったんでしょうね」

 さて、増田は大学卒業後、社会人の道を選択した。それは下野監督のこんな思いからだった。

「彼がエースだった4年の時、チームは春も秋も、あと一歩のところで全国大会に行くことができなかったんです。だから、このままプロの世界に飛び込ませるよりも、一発勝負の世界である社会人を経験することによって、より勝ちへのこだわりを身につけてほしいと。ここぞという時にこそ勝てるピッチャーになってプロへ行ってもらいたかったんです」

 中継ぎというポジションは、ミスが許されないという点で、一発勝負と重なり合うところがある。強い精神力は、社会人時代の経験が活かされているはずだ。

 増田の本当の勝負は来季だろう。ブレークし、タイトルホルダーとなった翌年、苦戦する選手は少なくない。研究され、マークが厳しくなるからだ。2016年、増田はどんなピッチングを見せるのか。気になるピッチャーのひとりだ。

取材・文=斎藤寿子 写真=BBM
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