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ロッテ6位・信楽晃史 練習嫌いの素質型投手が開花した理由

 


今年の都市対抗にはJR九州の補強選手として出場した信楽晃史(しがらきあきふみ)投手。宮崎・日南学園から福岡大を経て、自動車教習所の宮崎梅田学園へ。教習所の教官として勤務しながらプロ入りを目指していた。

社会人の厳しい環境で高い素質が花開く


「正直、驚きました」

 日南学園・金川豪一郎監督、そして福岡大学・渡辺正和監督ともに、彼のドラフト指名は予期せぬ出来事だったようだ。「彼」とは、千葉ロッテ6位指名の信楽晃史(宮崎梅田学園)だ。

 金川、渡辺両監督に言わせれば、信楽は「練習で手を抜くのうまかった(笑)」という。

「高校はしっかりと練習メニューが管理されていますので、信楽もやることはやっていたんです。ただ、こちらが油断すると、すぐに手を抜こうとするんですよ(笑)」と金川監督。一方、渡辺監督は「練習をまったくしないわけではありませんでしたが、彼の場合、オンよりもオフの方が長いんです。だからみんなが休憩を終えて練習を始める中、ひとり休憩時間が長いということはよくありましたね(笑)」

 そんな信楽を見て、両監督が感じていたことも同じだった。

「磨けば、いい素材なのに……」

 信楽はもともと身体能力が高く、体育の授業で他の競技をやらせても、人よりもできていたという。ピッチャーとしてもヒジが軟らかく、しなるようなフォームから回転のきいたいいボールを投げる信楽に、金川監督も渡辺監督も高い素質を持っている選手だと見ていた。

 しかし、その身体能力の高さが、信楽を本気にさせなかった要因となっていたのではないかと金川監督は感じている。

「ある程度やって、結果的に3年生ではエースになれた。必死にならなくてもそこそこできてしまうからこそ、本気になる必要がなかったんでしょうね」

 では、なぜ信楽は社会人でプロのスカウトに注目されるほどのピッチャーとなったのか。その理由を、渡辺監督はこう分析する。

「おそらく厳しい環境に置かれたことがプラスに働いたんじゃないでしょうか。大学までは結局、授業料を払って、野球ができている環境なわけですよね。ところが、社会人はお金をいただいて野球をやらせてもらっている。ダメなら、野球ができなくなるわけです。また、仕事との両立も練習時間が限られて大変だったと思います。でも、そういう環境がこれまで自分に厳しくできなかった信楽を変えたのかなと思いますね」

 ドラフト前、信楽は日南学園のグラウンドで練習をしたことがあった。会社のグラウンドが使えなかったために、母校を訪れたのだ。その時、金川監督は高校を卒業して以来、初めて信楽のボールを見たという。6年前との違いははっきりと表れていた。

「高校時代は、確かに回転のきいたボールを投げていました。でも、きれいなボールでしたが、軽くて威圧感はなかった。ところが、今のボールは強くて重さを感じましたね。高校時代にはなかった球威がありました。プロのスカウトが注目するのも、なるほどな、と思いましたよ」

 高校、大学時代の信楽を見ているからこそ、社会人でどれだけ努力したかが、金川、渡辺両監督にはわかるのだろう。今の信楽は、後輩にとってもいい手本となっているという。

「宮崎県では、子どもたちの野球熱があまり高くないんです。高校で野球をやめてしまう子も少なくない。でも、信楽を見て、続けていくことでチャンスに巡り合うこともある、ということを感じてもらえたらと思っているんです」(金川監督)

「後輩はみんな『あの信楽さんが……』と驚いていますよ(笑)。でも、信楽は大学で完全燃焼できなかったことで、社会人で自分なりに頑張ったんでしょうね。やろうと思っても、なかなかやれるものではありません。彼の思いの強さが、プロへの道を切り開いたのだと思います。後輩にとってもいい刺激になっていると思います」(渡辺監督)

「結果がすべて」と言われるプロ野球。社会人以上に厳しい世界で、果たして信楽はどんなピッチングを見せるのか。厳しい環境こそが、彼の闘争心に火をつけるのかもしれない。

取材・文=斎藤寿子 写真=BBM
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