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木村昇吾「恵まれた状況に甘んじたくなかった」西武入団テストまでの思いを語る

松坂世代の1人でもある木村昇吾。レギュラーの座を得るため35歳でFA権を行使した

 

目前に迫った西武の入団テスト
普通の精神状態ではないがワクワクします


 12月に入っても、獲得の意思を示す球団からの連絡はなかった。昨年11月10日、木村昇吾は前年に取得したFA権を行使した。しかし、他球団との交渉が解禁されてもオファーは届かない。時間ばかりが過ぎていく。

「野球人生で一番不安になった」

 移籍先が決まらないまま、12月からは広島の施設を使えなくなり、市内のジムを拠点にトレーニングを続けた。西武から入団テストを兼ねた春季キャンプ参加のオファーが届いたのは、15年が終わろうとした年末。FA選手が移籍先を求めて入団テストを受ける、前代未聞の事態となった。

 それでも木村に後悔はない。
「FAをしない後悔よりも、FAして後悔した方がいいと思った。テスト生? 十分です。チャンスをもらいありがたい。意気に感じます」。今年4月に36歳となる。しかし、1人のアスリートとして高みを目指す気持ちは衰えていない。

 07年オフにトレードで横浜(現DeNA)から広島に入団した。移籍が転機となった。高い守備力と走力で主に守備固めや代走で出場機会を増やし、チームで地位を固めた。さらに10年には東出輝裕に代わり二塁手、11年は梵英心に代わり遊撃手、13年には堂林翔太に代わり三塁手と、スタメンでも負傷離脱した主力の穴を埋める働きを見せた。自らの力で欠かせない戦力であることを証明した。

 しかし存在感を増せば増すほど、物足りなさを感じるようになった。「スタメンで出してもらって、スタメンで試合に出る喜びを知った」。負傷者の穴埋めではなく、自分がレギュラーとなる。選手として当然の欲は高まる一方だった。

 自信は深まっても、監督が代わった15年は前年の101試合から72試合に出場数を減らした。スタメン出場も59試合から24試合に激減。広島は遊撃のレギュラーに若い田中広輔を固定。三塁には梵を中心に若手を起用。新たに外国人の獲得も噂されていた(オフにルナを獲得)。

 広島に残留すれば、チームにポジションはある。先発出場は減っても、試合終盤に投入する切り札として重宝されていただろう。ベテランの域に入った選手としては居心地が良かったに違いない。だが、安定など求めていない。

「恵まれた状況に甘んじていいのか考えた。それは自分らしくないだろうと。常にレギュラーで出ていた選手であれば現状にも満足できたかもしれない。でもシーズンの半分くらいしかスタメンで出られないからこそよりスタメンで出たいという思いが強いのかもしれない。周りはもう36歳と言うかもしれないけど、自分の中では毎年、前年の自分を更新している手応えがある。常に攻める気持ちは忘れたくない」

 与えられたポジションで結果を残してきた自負がある。そしてもっと出来るという自信もある。勘違いかもしれない。それでも、自分の気持ちに嘘はつけない。木村は定位置を求めたのではなく、競争を求めた。今の木村があるのも、トレードで移籍した広島で常に競争意識を持って、貪欲にプレーしてきたからこそ。まだ成長できる―。その自信と意地が木村を突き動かしている。

 入団テストを受ける西武では、まさに競争が待っている。まずは入団までこぎつけるためにアピールしなければいけない。テスト合格を経て初めてポジション争いに加わることが出来る。

「今までと違うキャンプとなるのは分かっている。普通にやろうと思う時点で普通の精神状態ではないということ。緊張するだろうし、気を使うこともあるだろうけど、ワクワクしている」。

 これまでも飽くなき向上心と選手としてのどん欲さが、木村を選手として成長させた。野球界を席巻した有望選手が揃う松坂世代の1人として、03年ドラフトで愛知学院大からドラフト11位でプロ入りした。当時のドラフト最下位指名からはい上がってきた。同世代がユニホームを脱いでいく中、新しいことにチャレンジできる状況に喜びを感じる。

 FA権行使からたどった道のりは、これまでの選手とは大きく異なる。テスト入団という形に周りは冷ややかな視線を向けるかもしれない。木村は移籍の形にこだわったわけではなく、あくまで競争に身を置ける環境を選んだ。そして競争に勝ち抜き、その先にある成功をつかみ取ろうとしている。木村の決断による答えは今ではなく、その先にある。横浜から広島、そして埼玉へ。木村のプロ野球人生第3章はまだ始まったばかり。物語のクライマックスとなるかもしれない。

PROFILE
きむら・しょうご●1980年4月16日生まれ。大阪府出身。182cm78kg。右投左打。尽誠学園高から愛知学院大を経て、03年ドラフト11巡目で横浜(現DeNA)に入団。08年に岸本秀樹とともに小山田保裕との2対1の交換トレードで広島に移籍。当時のブラウン監督に守備固め、代走要員として見いだされ、一軍での出場を増やした。10年の野村謙二郎監督以降は、先発での出場機会も増やし、その後も複数ポジションを守れるスーパーサブとして活躍を続けていた。2015年の年棒は4100万円(推定)。

取材・構成=前原淳 写真=BBM

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