今ではこのコラムのタイトルどおり、僕の野球好きは広く知られているかと思いますが、それは子どものころからまったく変わっていないんです。もともと父親が野球好きで、わが家の夜のテレビは決まって
巨人戦でした。それに影響されたんでしょうね。僕は物心ついたときから野球一筋の子どもでした。それこそ思い出と言えば、野球のことばかり(笑)。生活そのものと言ってもおかしくありませんでした。
朝起きて、まず最初にやることが素振りでした。次に壁当てをやって、最後に必ず父親にフォームを見てもらってから学校に行くんです。そして、放課後には地元の野球チームで練習をして、帰宅をしたら急いでラジオをつけました。当時はまだBSやCSがなく、テレビで野球が始まるのは夜の7時からだったんです。だから6時からの1時間はラジオを聴いて、7時になるとテレビを見る。アニメやゲームには一切興味を示さず、本当に野球、野球、野球……の毎日でしたね。
父親の影響で小さいころから大の野球ファンであり、中居家のテレビにはいつも巨人戦の中継が映っていました/写真は原辰徳
そんな野球漬けの生活を過ごした小学校時代、僕は野球を通して学んだことがたくさんありました。その中の1つが「全員がエースや四番にはなれない」ということです。僕は小学3年くらいから少年野球で「一番・サード」のレギュラーを任せてもらいました。それから、ずっと「一番・サード」。でも、僕が密かにあこがれていたのは、やっぱり「エースで四番」。だから「6年生になったら、あの先輩みたいに投げて、四番を打ちたい……」と思っていたんです。
それで、6年生になったときに少し無理を言って、四番でピッチャーをやったことがありました。そしたら試合でボロクソにやられてしまった。そのとき、ようやく分かったんです。自分の役割は“エースで四番”ではないんだ、ということが。結局自分のわがままでやってもチームの士気も下がり、強くはなれない。それでは本末転倒です。だったら自分の役割である「一番・サード」をとことんまで全力でやろうと。野球というスポーツはいろんな役割の選手が集まって成り立つものなんだということを学んだんです。
それは芸能活動をする上でもすごく役立っています。人には向き、不向きがあって、それぞれ組織の中での役割があると思うんです。例えばSMAPの中で僕の役割って何なのかなと考えたときに、まず歌ではないなと(笑)。もちろん僕だってセンターで歌いたいと思っているんですよ、一番華のあるポジションですからね。でも、まあ違うなと。それでいろいろと考えたときにおしゃべりは結構得意だなと思ったんです。だったら歌は他のメンバーに任せて、自分はおしゃべりで一番になれるように精いっぱい頑張ろうと。それが今、こうしてMCのお仕事につながっているわけです。
とにかく野球で学ぶことは本当に多いですし、野球を好きになったからこそ得られたものもたくさんあります。僕にとって野球はかけがえのないものなんです。
PROFILE なかい・まさひろ●1972年8月18日生まれ、神奈川県出身。アイドルグループ・SMAPのリーダーとして活躍する国民的アイドル。歌手や俳優業だけでなく、司会者としての才能も発揮。「NHK紅白歌合戦」をはじめ、多くのテレビ番組で司会を務めている。プライベートでは大の野球好きでもあり、2013年のワールド・ベースボール・クラシックではWBC侍ジャパン公認サポーター」も務めた。