ノムさんこと、
野村克也さんが亡くなられてから3カ月が過ぎましたね。本当に時が経つのは早いなあ……と感じます。
本来なら3月にノムさんの「お別れ会」が開かれる予定で、僕も参列したいと思っていたのですが、それも新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となってしまいました。だから、僕としてはノムさんに「さようなら」をちゃんと言えてないので、いまだに実感が湧いていないというのが正直な気持ちなんです。
辛口の解説で知られ、強面なイメージがあるノムさんですが、僕なんかにもいつも気さくに声を掛けてくれていました。だから僕、ノムさんを一度も怖いと思ったことはないんです。それこそ奥さんの沙知代さんとも番組でご一緒する機会が多かったので、それもあったのかな。ただのドシロウトの野球ファンでしかない僕のどんな質問にも、いつも快く答えてくれました。あとは会うといつも「おい、お前はまだ“あの球団”を応援しとんのか? あんな野球のどこがおもろいんや?」と(笑)。でも、不思議とそれが嫌味に聞こえないんですよね。言葉にどこか温かみ、優しさがあるというか。
僕はノムさんの書かれた著書も好きで、それこそベースボール・マガジン社さんの『野村克也からの手紙』も読みましたし、有名になった『野村ノート』なんかは組織論や、物事に対する心構えなど、社会で生きていくための人生術みたいなものを学ばせていただきました。
『野村克也 からの手紙』小社刊
あらためて振り返ると、やっぱりすごい人なんですよ……ノムさんって。なんと言っても、世界で初めてキャッチャーで三冠王を獲得したんですから。と言っても、僕が小さいころに一番最初にノムさんの存在を知ったのは、晩年の
西武時代。それでも、子ども心に「キャッチャーと言えば野村克也」というイメージがありました。「強打者であり、恰幅のいい選手」がキャッチャーを務めるもの、みたいな。今では当たり前のようにキャッチャーにも打撃力が求められていますけど、それこそ「打てるキャッチャー」の第一人者は南海時代のノムさんでしたからね。
もちろん、監督としても「ID野球」でヤクルトを3度も日本一に導いた名将です。プレーイングマネジャーだった南海時代にもチームをリーグ優勝させていますし、最後の
楽天では初めてAクラス入りを果たし、東北のファンを大いに喜ばせてくれましたよね。
プレーイングマネージャーとしても活躍した南海時代。男前ですよね!
でも、僕が一番印象に残っているのは3年連続リーグ最下位に沈んだ
阪神での監督時代。何ていうのかな……まだ選手が育ち切っていなかったあの時期に、もがき苦しみながら指揮を執っていた姿が妙にカッコよかったんですよね。やっぱり人生ってうまくいくことばかりじゃないですから。なかなかうまくいかないときに、人間どうするか。それをノムさんが背中で見せてくれていたような気がして……。
ノムさん、本当にありがとうございました。これからも天国で選手と野球界を温かく見守り続けて下さいね。