週刊ベースボールONLINE

プロ野球回顧録

ヤクルト・バレンティン乱闘で思い出した燕の“ワニ男”

 

当時の乱闘シーンを伝える『週刊ベースボール』


 4月4日の阪神戦(京セラドーム)で、阪神先発・藤浪晋太郎畠山和洋への死球をきっかけにヤクルトバレンティンが大暴れ。阪神の矢野燿大作戦兼バッテリーコーチともみあいになり、両者退場となった。こういうとき血が騒ぐのが「昭和男」だ。マウンドでぼう然とする「平成男」の藤浪を尻目に、目を血走らせていたのが、矢野コーチであり、阪神・金本知憲監督だった。

 おそらく、あちこちの酒場でも、酔っ払ったオジさんたちが「俺だったら。頭突きをアゴにな……」とか妄想をふくらませ、ついでに昔の“盛りに盛った”武勇伝を語り合っていたはずだが、実際にバレンティンみたいな外国人の大男が向かって来たら、間違いなく、みんな一目散に逃げるはずだ。

 阪神、ヤクルト、外国人の乱闘で思い出すのは、1989年5月31日、神宮での一戦だ。死球を受けたヤクルトのパリッシュが、投手の渡辺伸彦に向かおうとし、捕手の岩田徹に止められると、頭に“空手チョップ”を食らわしたシーンだ。

 パリッシュはメジャー通算256本塁打を誇るパワーヒッターとして89年鳴り物入りでヤクルト入団。日本では“ワニ男”の異名も取ったが、これは「ワニのように怖い」とか「口が大きいから」ではなく、「好物はワニ肉」と言ったことからくる。メジャー時代から気の短さで知られた男で、カッとして壁やベンチを殴って自分がケガしないようにと“ラリー人形”という特注のサンドバックをつくり、それを日本にも取り寄せていたほどだ。

 1年目から42本塁打でホームラン王を獲得。しかし、翌90年に就任した野村克也監督が129三振の粗っぽさに「確実性のない選手はいらない」と放出。90年は阪神でプレーしたが、故障もあって途中退団となった。ただ、ふだんは本当にジェントルマンで選手にも記者たちにも慕われていたという。

 退団後は米球界で長く指導者を務めた。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング