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プロ野球回顧録

巨人・長嶋茂雄監督の“欲しがり病”が結実した年

 

95年開幕戦のスコアボード。移籍選手の名前が並ぶ



 4月24日、左腕・森福允彦が二軍落ち。ずっと調整が続いている右肩違和感の山口俊、下半身の張りの陽岱鋼に続き、史上初の3人獲得となった巨人のFA選手が、すべて一軍から姿を消したことになる。まさに「大金をドブに捨てた」状態だ。

 FA制度は93年オフに日本球界に導入されたが、巨人は落合博満中日から獲得し、翌94年の優勝、日本一につなげている。当時はグラウンド外では完全なる“巨人1強”時代で、FA制度導入は選手の要求と巨人の思惑がマッチした産物とも言われた。要は「最後は巨人」で、と思う選手が多かったうえに、高騰するトップ選手の年俸を払い切れるのが、巨人しかなかったとも言える。

 落合獲得の成功で気をよくした巨人、そして長嶋茂雄監督は、ここから壮絶なる補強を繰り返すが、同年オフの33億円補強(金額は推定)は、その失敗例として語り継がれるシーズンとなってしまった。

 長嶋監督の補強には明らかな傾向があり、メーンは「四番」と「左腕」。93年入団で、生え抜きの松井秀喜が成長過程にあり、前年、その見本ともなる大打者・落合獲得まではよかった。しかし、この年はさらに92年の首位打者&本塁打王ながらヤクルトを解雇されていたハウエル、同じくヤクルトで四番を打ち、こちらはFA加入の広沢克己、さらにツインズから8億円で超大物打者シェーン・マックを獲得。まさに絢爛たる顔ぶれだったが、問題は守備走塁。守備では落合が一塁なので広沢が外野に回ったが、もともと外野守備に不安があって一塁に入った選手でもある。同じく外野のマックも肩の衰えは隠せない。それでも誰か打てばよかったのだが、みな今一つ……。投手陣ではFAで広島から川口和久、近鉄からトレードで阿波野秀幸の左腕を取ったが、こちらもやはりピリっとせず……。

 3位に終わったこともあり、国民的大スター・長嶋監督も“欲しがり病”と揶揄されたが、以後も獲得意欲は衰えることを知らず、96年オフには西武の四番・清原和博をFA、近鉄の四番・石井浩郎を交換トレード、ロッテからは2年連続2ケタ勝利の左腕ヒルマンを獲得したが、やはり今一つ……。

 ただ、99年オフにダイエーから左腕エース・工藤公康、広島から四番・江藤智を獲得したあたりになると、もはやその執念に感服せざるを得ないという雰囲気になってきた。

 実際、多くの大物ライバルにもまれた松井秀喜が真の四番として働き、打者では高橋由伸、投手では上原浩治高橋尚成ら生え抜きも活躍。工藤、江藤、清原らはうまくそれをサポートする形となり、2000年はぶっちぎりのリーグ優勝、さらには日本一に輝いた。

 ある意味、選手時代からメジャー流の超攻撃型野球にあこがれ続けた長嶋監督の集大成にふさわしい1年でもあった。

写真=BBM


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