乱闘を伝える記事で掲載されたイラスト(『週刊ベースボール』1970年5月18日号)
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は4月28日だ。
4月4日、
阪神戦(京セラドーム)での
ヤクルト・
バレンティンの大暴れは記憶に新しい。戦車のような突進に、みなおよび腰になる中、選手を守るべく敢行した、玉砕覚悟(?)の阪神・
矢野燿大コーチの飛び蹴りは見事であった。
ただ、オールドファンなら思っただろう。「あの男がいれば、どうなっていただろう」と。
どんな巨漢外国人選手を相手にしても絶対負けなかった男、史上最強の野球選手(週刊ベースボール編集部認定)が
大杉勝男だ。大杉が所属した東映には
張本勲、
山本八郎、
白仁天と伝説的ケンカ屋たちが数多く、かつての本拠地球場が駒沢球場だったこともあり(61年まで)、後楽園に本拠地移転後も“駒沢の暴れん坊”と言われていた。
語り継がれる大乱闘が1970年4月28日の東映―西鉄戦(後楽園)の7回だった。二塁ベースカバーに入った大杉との接触プレーで走者の西鉄ボレスが激怒し、もみあいとなった。ボレスは巨漢の黒人選手、大杉もまた、腕っぷしの強さで鳴らすパワースラッガー。まさに“日米ヘビー級選手権”だ。後楽園は一気にボクシング会場のような盛り上がりを見せた。
勝負は一瞬だった。
もみあいの中でボレスのパンチが大杉のおでこをかすった瞬間、大杉の右ストレートが一閃。それが「びっくりするくらい見事にアゴに決まった」(大杉)。
ボレスは口から血を吹き出し、ヒザから崩れ落ちる。大杉のKO勝ちだ。
この日、大杉はバットも好調で、4打数4安打の大当たり。試合後には口の悪い記者に、「5打数5安打だな。7回の一発は見事だったね」とからかわれていた。
ここで今の野球ファンなら頭に中に「?」が出ているはずだ。「大杉って退場にならなかったの?」と。乱闘が珍しくなかった時代(特に東映は多かった)、意識を取り戻したボレスが大杉と笑顔で握手したかららしいが、編集部では勝手に「大杉のパンチが速過ぎて見えなかったに違いない」と推測している。
写真=BBM