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巨人・小林誠司のルーツ/広陵高時代

 

広陵高3年時の小林誠司。夏の甲子園では5度、校歌を歌った。左から3番目が小林で、その右隣りが現広島野村祐輔。2人は息の合ったバッテリーだったという


 とある企画で巨人・小林誠司のルーツを探る旅に出た。時系列に沿っての取材が難しかったため、であるならば、現在の彼が捕手としてのキャリアをスタートさせた広陵高からと思い、広島へ飛んだ。

 話を聞いたのは中井哲之監督。広陵高OBで1990年4月に同校野球部の監督に就任し、以降現在までに甲子園は春夏合わせて出場15回、優勝2回、準優勝1回の名将で、小林にとっては恩師であるとともに、卒業から約10年が経つ今でも「会うと背筋が伸びる」怖い存在だ。当時は3学年合わせて100名弱の大所帯(現在はさらに増えて150名)。そんな名門校に入学したばかりのころの小林の第1印象を尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「実は、まったく覚えていないんです。後々になって、投手や遊撃手をする姿を見ているのですが……。野村(祐輔、現広島)や土生(翔平、現広島)などの同級生が入学時から目立つ存在だった一方で、小林は……申し訳ないですが、本当に印象がない(笑)」

 同志社大、日本生命を経て、のちに巨人にドラフト1位で指名される選手である。現在は球界NO.1と言われる地肩の強さも、投手では生かされておらず、「特に球速のある投手というわけでもなかった」(中井監督)そうだ。小林の代では野村が投手では圧倒的な存在であり(現在の姿を見れば当然か)、一方で捕手が手薄だったことから、1年秋に中井監督が捕手コンバートを提案。結果的にこれが奏功し、広陵高は小林の代になった2年秋(2006年)に野村―小林バッテリーで中国大会優勝、3年(2007年)春、夏連続で甲子園に出場し、春8強、夏準優勝の輝かしい戦績を収めている。

 ちなみに、小林は捕手転向後、中井監督ではなくコーチにたびたび「捕手はやりたくない」と弱音を吐いたそうだが、投手に寄り添い、投手を立てる捕手としての振る舞いに可能性を感じ始めた中井監督が、「まずは死ぬ気でやってみろ。それでダメなら投手に戻すことも考える」と説得。このとき、本人の希望どおりに投手復帰を認めていれば、現在の小林誠司は存在しなかったかもしれない。

 とはいえ、中井監督にとっては「これまでプロ野球選手になった教え子の中で、もっともプロになることが想像できなかった選手」なのだとか。そんな小林がスカウトの目に留まり、ドラフト1位の評価を得るに至った大学時代、社会人時代については、また別の機会に。

文=坂本 匠 写真=BBM

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