5月3日、広島カープの背番号「67」が初めてマツダスタジアムのマウンドに姿を現した。プロ4年目の中村祐太だ。プロ初登板初先発のピッチングは決して「好投」とは言えない内容だったが、それでも5回を投げ切った。試合は味方打線の援護に恵まれ、広島が中日に逆転勝ち。中村は、本人も周囲も待ち望んでいた「プロ初白星」を挙げた。
「なんとか勝てました。ここからがスタートだと思っています」
その日、中村は恩師の下に初勝利の報告をしている。彼をプロの道へと引き上げてくれた関東一高の米澤貴光監督だ。
米澤監督が初めて中村のピッチングを目にしたのは、彼が江戸川中央シニアに所属していた中学3年の時だ。
「当時の監督さんからは、コントロールが悪くて、なかなか試合では使えないけれど、素材はいいものを持っている、と聞いていたんです。実際に見たときの印象としては、『球離れのいいピッチャーだな』と思いましたね。高校に行って努力を重ねれば、成長するんじゃないかな、と」
当時、中村はほぼストレートだけで勝負するピッチャーだった。米澤監督も「小手先だけの変化球よりも、ストレートで押していくピッチャーに育っていってほしいという気持ちがあった」という。だが、1年の夏までは練習試合で投げても、そのストレートを打たれて悔しい思いを何度もした。
そんな中村に、米澤監督が成長を感じたのは、ベンチ入りを果たした高校1年の秋のことだ。試合を重ねるたびに、ストレートの威力が増していき、5試合を投げて防御率0.79と好投。決勝の帝京戦では1安打完封勝利を挙げ、都大会優勝の立役者となった。そして、翌春のセンバツでは、3試合連続完投勝利。準々決勝の横浜戦では、今年ドラフト1位で中日に入団した1学年上の
柳裕也との投げ合いを制し、チームをベスト4に導いた。
一躍プロのスカウトから注目される存在となった中村。当時のストレートは、米澤監督をも驚かせた。
「甲子園練習で、たまたま人数がいなくて、私が彼のキャッチボールの相手になったことがあったんです。そしたら、予想以上に手元でビュンと伸びてくるんですよ。彼のボールを受けていて、怖いとさえ思いました。あのときは、まさに初速と終速との差がない、いいボールを投げていました」
しかし、その後は股関節のケガの影響で、なかなか満足のいくピッチングができずに苦しんだ。
それでも将来性を買われてのことだったのだろう。3年の秋、中村はドラフト指名を受け、プロ入りを果たした。当時、まだ万全の状態ではなかった中村に、米澤監督はこう言って送り出した。
「オマエは一番下から這い上がる身。もう一度、謙虚な気持ちになって、野球に取り組むんだぞ」
あれから4年――。昨オフ、中村は久しぶりに母校のグラウンドを訪れ、自主トレーニングをした。そのとき、米澤監督はこう言った。
「今年が勝負だな。頑張れよ」
果たして、なぜ今年だったのか。その理由を米澤監督はこう答えてくれた。
「来年は、同じ大学に進んだ同じ学年の選手たちが入ってきますからね。その前に、というのは、彼自身も考えていたと思いますよ」
6月3日現在、3試合に登板し、2勝0敗、防御率3.94。数少ないチャンスをモノにできるかどうかは、これからが勝負だ。
文=斎藤寿子 写真=前島 進