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巨人監督事件史その7

巨人・王貞治監督解任、藤田元司監督ふたたび

 

東京ドームの最終戦、「新しい巨人軍をこれからも応援してください」とファンに別れのあいさつをした王監督


 1984年、世界のホームランキングとして子どもたちのあこがれであり続けた“背番号1”王貞治が助監督から監督になった。引退即監督となった長嶋茂雄と違い、コーチ経験を経ての就任。球団としても万全を尽くしての昇格だった。

 しかし勝負の世界は甘くない。3年間V逸の後、87年にようやく優勝を飾るも、日本シリーズでは西武に敗れた。

 88年、東京ドーム元年は是が非でも優勝、さらに87年に届かなかった日本一。それは誰より、王監督が欲したものだった。

 しかし、この年は首位で折り返すも後半失速し、中日と大差の2位に終わる。王采配への批判がマスコミ、ファンで活発になり、終盤になると、王監督の去就がマスコミをにぎわせるようになった。

 それでも王監督は「球団が決めること。ただ、俺は自分からやめることはない」と言い続けた。9月末、巨人の機関誌とも言われるスポーツ報知が「王監督留任決定」と報じ、だれもが一件落着と思った。しかし、それは真実ではなかった。水面下で広岡達朗藤田元司らに次期監督の打診をしており、藤田のOKをもらったことで、9月29日、ついに退任会見となった。

「ただただ、残念です」

 さっぱりした表情ではあったが、王監督は無念さを隠さなかった。

写真=BBM
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